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今年の抱負
私はその年の抱負をその年の中盤に考える…どんな年か感じながら、その中で自然に意識してやっていたこととその効果・方向性を認識して再構築する。でも、単に半年遅れてるだけなのかも。
今年は環境を建て直した。自分の地盤と壁を。
そして今年から意識してやっているのは、真っ直ぐに歩くこと。姿勢と足を。背痛が酷くなっていたのも動機。自分の客観視のためでもあり。(いつもちゃんと歩いている人にはおよばないけど)
自分の環境と、歩き方を真っ直ぐにして見えてきたのは、自分自身。今までにないほど、自分自身と向き合ったかもしれない。
ヒトが嫌いなのに、ヒトに好かれたくて、自分を偽ったこと。
何も持っていないのに、持っていると思い込んでいたこと。
自分に柱なんて無かったんだね。
壁と地盤だけじゃ、立ってなんていられなかったんだ。
自分の過去に残した全てが嫌になった。
4月と5月は、日に幾度も、逃げ出そうと思った。
内的認識が変化すると、同時に外的認識にも変化があるのが面白い。
外的認識で得たのは、やっぱり無機物の支配するこの世界の本当の姿は煉獄だということ。
幸福感や安心、平静は、地球生物の脳内の幻覚機能でしかなく、幻覚が取り払われた眼に鬱る世界こそ本当の姿なんだ。誰が否定できる?
また逆に、天国は精神の奥にこそある。
有機に与えられた幻想作用。
それに踊らされたままで、なぜ真実を見る眼を見下すことができる?嘲笑うことができるの?
有機にのみ与えられた不可視光は、そして目を覆わんばかりの陰惨をも生み出す。
隣の席を満たすのは、グロテスクな死の可能性と、大切なものに対する汚辱の可能性。
その可能性の中に、どうして一番大切なものを産み落とすことができる?
可能性は、絶対の恐怖であり、
可能性は、唯一の希望の光である。
命の価値の本質は、命自体ではなく、それに付加する可能性にある。
可能性は可能性に刈られてしまった。
君の笑顔の可能性。
君の涙の可能性。
sadness and anger hit me and hit me.
but,finally what will kill is loneliness.
歩き方と背中に毛布で、大分背痛は軽くなった。
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- Published:
- 7 月 28 2009 / 11:55 PM
- Category:
- Daily

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