終戦と情報と2chに花束を
思想は変化しているかもしれません。関係のある記事を確認してみてください。
二限目 -社会-, 2ch, 情報, 情報化社会, 戦争 @ 2005-08-16,
情報の飢餓。
飢えたことのない私は、情報の飢餓は食料の飢餓と同列に恐ろしいものだと思っている。
「情報の氾濫」
と言うけれど、氾濫の何が悪いのか。
例えばどうだろう。
日本のテレビ番組を、北朝鮮で自由に流せばいい。
くだらない脱力した番組、ポップスと少しのロック、甘い誘惑を送るCM、攻撃性を忘れてしまった笑顔、様々な格好をした人々。
「なんだ、日本いいんじゃないの?」
かつて敗戦した日本に、流れ入ってきたジャズ、ファッション、西洋文化にすっかり傾倒してしまったように。
例えば私。
7年前のあの時、インターネットが無かったらまったく異なる人生を歩んでいたかもしれない。
それだけ重要で必要で知られていないあるモノの情報を、インターネットから探し出したから、私はここに居る。
例えば、日本国民総2ちゃんねらー化現象。
2chには、一つの統一した思想が生まれない。
誰かを誰かが叩く。叩いた誰かに同意する人がいくらいても、必ずそれを誰かが叩く。
俗なれ貴なれ、考えが、考えを否定しようとする。
その源は、日本教育の逆洗脳にあると思う。
「天皇キライ。」「日本ってくだらない国」
「アメリカにいきたーい」「宗教?ヤダー」
「何かを強く信じるなんて、かっこわるーい」
左翼教育にも近いが、左翼思想に傾倒しているわけではない。
彼らは、ただ、「信じること」を教えられなかった人種なのである。
小学校、中学校と、敗戦や、天皇制について習う。
天皇万歳とか言って、結局敗戦したんだ。
その挙句、鬼畜とか言っていた米英の文化を、今や愛してやまない。
そんな歴史。
そんな歴史を私たちは習ったから。
「何かを信じたり敬ったり、国を愛したりするのって、いいことを生まなかったんだな」
そう感じ取ったのである。
だから、ヤル気の無い若者は、世界で一番何も信じない、貴重なほどにニュートラルな人種だと思う。
2chは、その人たちが主立って集まるところだと思う。
そして、全員が「名無し」
名前を名乗らず、相手から自分への視線を捨て、あらかじめ仲間意識を捨て去る。
だから、「殺伐と」考え方の反作用運動を繰り返す。
素晴らしいと思う。
ある考え方があれば、その後ろを読み、更に他の人がナナメ後ろを読む。
一つの考え方に対し、四方八方360°の方向から見方が生まれるのである。
イラクでの高遠さんら拉致の時も。
2chのようなものが無ければ、だれも、「あれは演技だ」と気づかなかったのではないか。
皆、名前と立場がある人間で、軽蔑されたり嫌われたくしたくないのだ。
「かわいそうな人たちだ」もしくは「無関心」と思っているフリを続けていたかもしれない。
2chで誰かが「あの映像って演技っぽい」と気づく。
そして、「あの人たちって、あまりかわいそうじゃないんじゃない」と言い出す。
かわいそうかどうかは別として、「ナイフ当てなどが、犯人(?)グループと打ち合わせた演技だった」
ということは、当たっていたのである。
情報。
私が崇拝しているのは、「情報」かもしれない。
私は、「知らなければ良かった」なんて思ったことは只の一度たりともない。
だから、「子供に与える情報を制限しろ」というのは、人間の可能性の芽を摘むことだと思う。
私は真実が欲しい。
真実は、真実を囲む情報が揃ってこそ真実なのだ。
だから、一杯の情報欲しい。
でも、私の頭の中に情報が完全に揃うことはないから真実は、永遠に掴めないのかも知れない。
今年は、戦争を振り返った特集がとても多い。
戦争経験者は、口を揃えて言う。
「日本が負けそうなら、政府は隠さず教えて欲しかった」
「米兵に捕まったら酷い目に遭わされるなんて嘘を、吐かないで欲しかった」
情報の飢餓がどれだけ人を殺したか。
豊かになりたければ、その逆をすればいい。情報を、とことん求めよ。
頭の良さ?
勉強ができるかどうかではない。
勉強ができる能力など、ただの道具だ。道具を使いこなす頭がなければ、頭が良いなんて言えない。
知的好奇心こそが、頭の良さであり、真実こそが、信じるべき神である。
情報が星のように降り注ぐインターネットを、私は愛してやまない。
2005/8/16 終戦60年
9 月 9th, 2005 at 3:08 PM
♪知らないほうがいい事だってたくさんあるけど
それじゃ前に進めないから♪
と唄った(自分の曲で)若かりし頃を思い出し
鳥肌立てるほど、私は臆病になってしまったよ。