「可愛さ」という牙は
情緒の面で平均的に成長した人間であれば、子犬や子猫、そして幼児を見て「可愛い」と感じたことがあるはずだ。
「可愛い」と思う気持ちを分析すると、符号があることに簡単に気付く。
大きく輝く瞳、細い声。太くて丸い体と手足のやららかさ。
体の大事な器官である瞳が大きいことは、見る側に無防備さを知らぬ間に感じ取らせる。
同じく、丸くて柔らかい体と手足は、他者を傷付ける余地のなさと、傷つきやすい無防備さを伝える。
「可愛い」と思う時は、「無防備だ」と感じるのと同時かそれよりも早くその感情に至る。
普通その状態にある人間は、「無防備・丸い・柔らかい」という理屈すら考えられない。
「可愛い」という感情は、受け取る人によっては強力な麻薬となる。
痛みを忘れさせ、ストレスを忘れさせ、全身の筋肉を弛緩させる強力な効果を発揮する。
その麻薬にとりつかれた人間は、「それ」を護るためには何も厭わないという行動にまで至る。
・・・
赤ちゃんが可愛い=神秘・大切な存在だから当然で、神聖なことである―、と感じている人は多いかと思う。
しかし、それは違う。
「可愛さ」というのは、武器だ。
その根拠は、本当に生まれたての新生児を見たことのある者なら理解するだろう。
第一子を持ち非常に愛情深く育てている友人の言葉を借りると、
「最近は人間らしくなってきた。産まれて間もない頃は虫っぽかった」
その他、新生児を産み落とした文筆家たちの文章には、「サルみたい」「宇宙人っぽい」「愛らしいという感じではない」という言葉が並ぶ。
そして、それは人間の新生児だけに限ったことではない。
私自身、産まれて40時間以内の子猫を保護したことがある。
それ以前に、生後1ヶ月程度の子猫も保護したことがあるが、その時は上記のような「大きな目」「ムクムクした手足」にすっかりデレデレになったものだが、新生児を保護したときはそうではなかった。
本当に「これ」が、あんな「猫」という形になるのだろうか・・・という不思議さと、今にもに消えてしまいそうな小ささ、頼りなさ、儚さに、哀しい切ないような気持ちになったものだった。
その時に確信した。
「可愛さ・愛らしさ」とは、生き抜くための武器だ。
他者と戦うための爪が同じ。器用に生きていくための手指と同じ。
牙も爪も筋肉も、備わるには長い期間が必要だから、それまでの間に簡単に身に付く「武器を携える」のだ。
自分を護りえる成熟した者に、自分を護らせるため陶酔させる記号を。
哺乳類間の差を越える「可愛さ」
興味深いことに、その「記号」は、哺乳類間でほぼ共通のようだ。他種の子供に母乳をやって保護する動物の話は、珍しいことではない。
私の知り合いの飼い犬も、捨て猫が居るとその場を動かず、それらを保護するまで動かなくなるという。
かくいう人間も、他種の子供の強力な武器にすっかり服従し、それらの種の繁栄を援助させられている。
「可愛さ」というジェンダー
云うまでもなく、男女間には様々な差がある。その中で、女性の「被寵愛性」は特に大きい。
金を出して男が女を買う。
この図式は、どこの国でも成り立つ。
逆が起こるのは、極度に複雑化した社会の上でしかない。
「働いて自立したい」という女性が増えると同時に、「養われたい」と口に出す男性が目についてくる。
10年程前、働く女性の増加とともに養われる男性が増えるだろうという予測があったのか、一時期ヒモ男とそれを飼う女のドラマや小説などが多かったが、そういった関係を取り上げるメディアも衰退し、現代において実際のところその図式が多いかといえば、そうでもない。
只、結婚しない男女が増えたことは、統計の上でも明らかだ。
要は、「お金を出してでも異性が欲しい」のは、男であって、女がお金を持ったとしても平均的な女性であれば男を求めてお金を出すことはないし、養ってまで男を欲しいと思うことはまれだということだ。
持て余した愛情は、ペットに注ぐことで生活は充実する。
そして「養ってくれなくてもいいよ」と、放り出された男達はどうか。
それならそうと、趣味や仕事を恋人に独身生活を送リ続ける者も居れば、「やはり女性と結婚」と、結婚相談所へ足繁く通う者もいる。
性を求めなくなる男達もいるようだが、だからといって男性向けの女性風俗は衰退はしていない。むしろ多様化しながら栄えているようだ。
養うことを求められても求められなくても、多くの男性のお金は女性へと消えてゆくのである。
そして「可愛さ」への話へと戻るが、先の話から、女性は「(対男性)被寵愛性」という特徴を持っていることがわかる。
誰しもが、皆子供であった。
か弱い身体で、細い声を出して生まれ、無垢な瞳で保護する者を懸命に探していた筈だ。
しかし第二次性徴で、男性だけが細い声を取り去られ、柔らかさも奪われてしまう。
女性には、丸い身体もそのまま、声はうるさくなってもイザというときには細く甘えることのできる高さのまま。肌も男性に比べれば薄く柔らかいまま。
男性だけが、子供の頃は持っていた「可愛い」という武器を奪われるのか。
代わりに、筋肉と機敏性と攻撃性と創造力を女よりも多く与えられる。
それは本人の望むべからずとも・・・。
遺伝子の業か。
はたまた、遺伝子を操るモノの業か。
―また話は逸れるが、子供が第二次性徴を怖れる話は、たまに耳にする。
そういった話題を取り扱ったメディアもある。
その中で、「大人の女性になることを怖がる女児」の話はあっても、男児の話はあまり聞かないのはなぜか。
女性は、服の上からでも判るような性成長が起こるからなのかもしれない。
私自身、幼少の頃に胸が膨らむ夢を見てうなされたものだ。
一方、男児の性的な成長は、特に服の中で起こるということが、女児よりも性的成長の精神的受け入れが遅い理由の一つかもしれない。
また、服の中で起こるという陰徳された恐怖が男性特有の攻撃性を助長することに繋がっているのかもしれない。―
とにかく、私は女になりたいと思っていなかったし、未成熟のうちに成長が止まってしまえばいいのにと願ったし、望んだとおりの身体になった、という人は非常に少なく思える。
運動能力など与えられるものが多くとも、子供の頃の「可愛さ」を何かに奪い去られ、触ると痛い剛毛を与えられる「男性」という性は哀れともとれる。
それはなぜか。
それは遺伝子の―遺伝子を操るモノの―、「保護されるのはもうお終い、保護する側になれ」という命令である以外、考えられるだろうか。
女性は、子供の持つ「被保護(可愛い)の符号」を、成人しても受け継ぎながら、「性的魅力の符号」をも得る。遺伝子からの、「保護されよ」という命令だろうか。
そういった意味では、「病めるしかも幾倍か不純なる子供とも云うべき女」という、ヴィニーの句に簡単に反論することはできない。
遺伝子に「勝手に」選り分けられた私達は、それについてあれやこれやと悩みながら生きて死んでゆく。
一体どうしてこのようなことになったのか。
男女の歴史は長く、細胞分裂で男女の区別なく生きていたのは、アメーバの頃くらいである。
それ以降大部分の虫に雌雄があり、植物に雌雄があり、爬虫類に雌雄があり、哺乳類に雌雄がある。
それは、人間がすぐに議論したがる「優れているか劣っているか」ではなく、大きく二つの理由がある。
一つは『遺伝子の多様化のため(同一ウイルスによる絶滅を防ぐ)』と、『役割分担のため』である。
『役割分担』の面では、メスが巣で子供を護ってオスがエサを採りに行く恒温動物が多いが、虫や魚介類には、オスが子守を担うものもある。
もちろんオス子育てに参加せず、数撃ちに出る種は、哺乳類でも多くいる。人間という種の中でも個体によってはそのような生態のオスも多く存在する。
同種の中で役割分担=協力することは、なにかを成し遂げる上でとても効率が良く、遺伝子も多様化・進化が速くなる。
そして駆け足の進化で、私達はここにきた。
人間は、狩猟民族時代が長い種であるが故に、危険の中で役割分担を明確にするほうがより遺伝子を残せるという判断の結果雌雄の差が大きくなったのであろう。
アジア人種の人々は海洋民族の血を濃く引いているからか、縄張り争いの激しい採取狩猟民族時代を長く経た人種の人々よりも男女間の身体的性差が比較的小さい。
そのような人種間の差こそあれ、欲深く危険な進化を遂げた名残として女は男にとって愛玩性を強く感じさせるものとなった。
武器を持たない者たち
一重の女性にお目にかかることが少なくなった。二重は、一重の顔立ちに比べて表情が判りやすい。
だから二重は、「可愛さの符号」の大事なパーツである「瞳」を強調するための大事な要素なのだ。
このように「可愛さの符号」を説明できれば、「女性の愛される顔」も説明できる。
では、「可愛さの符号」を持って生まれなかった人達は?
子供も女も、全て同じではない。
目が小さい子、無愛想な子、身体のバランスが符号と違う子がいる。
彼女達は、男性の保護を受けられないのか?
女は、生まれ持った「可愛い」の符号に、さらに化粧を施してその符号を強化させる。
目はもっと大きく。肌はすべらかに見えるように。
そして針のようなピンヒールをよたよたと履いて、頼りなさまで演出しようとしている。
同じ女性でももちろん個体によって「可愛さの符号」への重要視度合いは違うが、そのように被保護のための符号を強化するような個体には、危険な時代を生きた際の本能の根強さを感じる。
符号を持つ女性も、持たない女性も、「保護されたい」という思いが強いからかどうか知らないが、「保護を乞う」ために自分を演出する者は多い。
顔立ちの整っていない女性でも、「可愛さの符号」を理解する者は巧みにメイク・仕草を演出し、符号を持って生まれても使い方の下手な女性に「なぜブスなのにもてるの?」と言わせる。
最近の整形手術の低料金化で、どれほどの女性が「顔立ちという符号」に不満を持っているかが明らかになった。
それだけ「見た目」の符号が重要視されているのは、人間という生物は、「視覚」が大きな意味合いを持つように進化した生物だからだと言われている。
しかし、男女間の「符号」の重要視は、先に書いた「争いの多い危険な時代」のものであるから、現代の女性にはナチュラルに強く生きて欲しい。
「可愛さの符号」を這いずり回って自分に貼り付け、安全なこの世界でオスに「被保護」を乞う姿は、人間の進化を妨げるものに見える。
願わくば私達・高等霊長類のメスは、被保護を目的とした符号としての可愛さではなく、それを超えた人間美・女性美を追求していきたいものである。
万が一、「被保護」という符号が再び必要な日―戦乱に巻き込まれる日が来たら―、私はその時それを役に立てるだろうか?
否、私の「可愛さの符号」は、惚れた男にしか使うことができない。
駄目な雌として散るだろう。