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2005年04月25日

20世紀末日をもって善悪という言葉は終了しました

20世紀末日をもって善悪という言葉は終了しました
20世紀末日をもって善悪という言葉は終了しました。
 何を語るよりも前に、
 このサイトがテキストサイトなのか、それとも別のサイトなのかなんなのかも決まる前に、最初にこのルールを掲げよう。
 全世界の、言葉を持つ数十億人の人々に、本気でこのルールを行使して欲しい。

 もうやめましょう。

 良い、悪い。
 その表現は19世紀の間に捨てるべきでした。
 良い、悪い。善悪。この言葉が、人の思考を停止させます。

 見るといい。
 この言葉を追いかけ命を奪い合い、それでも何が善か、何が悪か、考えるほど悪を狩る程わからなくなって悩み苦しむ人がなんと多いか。

 わかる訳がない。
 善悪などどこの世界にも存在しないのだから。
 人は、善悪という言葉の根元を常に考えるべきだった。


 根元とは?
 善悪という言葉の根元は、その言葉を造り出した人間、そのものの中にある。
 人間とは則ちあなただ。
 あなたが、嫌と感じるか、喜びを感じるか。
 これが善悪の根元である。


 昔、国の統治者は、平和をつくるために、多くの人が強く嫌だと感じる行動をとった者に、罰を与えることにした。
 それが罪や法の起源である。

 そして人はなぜか、「多くの人が嫌がる行為」を、悪という言葉でひっくるめてしまった。

 A国とB国があった。A国とB国では、「多くの人が嫌がる行為」と「多くの人が喜ぶ行為」逆であった。
 A国とB国では、それぞれの国の中で「多くの人が嫌がる行為」を禁止し、平和を保っていた。
 A国にある優しく真面目な娘がいた。娘は、毎日「多くの人が喜ぶ行為」を行い、「多くの人が嫌がる行為」を憎み、皆に愛されていた。
 しかし彼女は、B国の噂を聞いた。
 その国では、自分が毎日している事が嫌がられ、自分が憎んでいた行為が喜ばれるらしい。
 彼女は急に怖くなってしまった。自分は、絶対に人の嫌がることはしたくない。
皆に喜ばれたい。それなのに、自分の毎日していたことは他の国の人々の嫌がることだった?
 そんなはずはない!
 私は人の嫌がることをしている訳がない!私は「悪くない」!「良いことをしているのよ」!

 彼女がそう叫んだ瞬間、B国の「多くの人が喜ぶ行為」を「悪いこと」と定義付けてしまったのだ。
 B国でも彼女と同じ、真面目な人が「多くの人が喜ぶ行為」を一生懸命皆のために行っているかもしれないのに。

 自分のしている行為が、皆も喜ぶと信じたいがために。
 自分の生き方が誰かを傷つけていることから目を反らすために。
 自分を正当化するために。

善と悪が生まれた。

 結局、A国は、B国を滅ぼした。「悪いことを行う国」だからだ。
 B国で、皆を喜ばせるために真面目に働いていた娘がいたが、娘は「悪いこと」をしているという理由で殺された。

 A国の娘が、「私の家族や友人は喜ぶけど、あなたの国では嫌がられるのね」という風に納得していれば、B国の娘は殺されずに、幸せに暮らしていたかもしれない。

 本当に、B国が滅ぶ必要はあったのか?

 A国の人々はこう答えた。「B国は悪い国だったから良かったんだ」と。

 B国の娘の死体から流れた涙は、全て砂に吸い込まれてしまった。

愚話?残念。
現代の話である。

 そして今この瞬間さえも、地球で一番大きな国の兵士が、「悪」という自分を正当化するために生まれた言葉に判断をまかせて、B国の娘を殺している。
 誤爆で吹き飛んだ家でバラバラになった子供の死体を見ても、自分ですべきことを自分で判断せず「悪」という言葉に判断を任すのである。
 だから「悪を滅ぼすため」と言われればいくらでも殺せるのである。


 また、善悪の考え方には、宗教が強く汲みしている。
何万年も前の太古の昔から宗教があるが、善悪の概念を生み出した宗教は少なくないだろう。
 昔も今も、人は混沌とした闇に脅える。
 その恐怖から逃れるために、善悪の概念は大いに役に立つ。
 闇の中で震えながら、人はイメージする。
 世界が善と悪の二つに分かれている。
 自分は、分かれた世界の善の側にいる。自分は善に守られ、自分の恐れる悪はこちらに入って来れない。
 なぜなら自分は善を信じ、日々善を行っているからだ。
 そう考えることで、心の恐怖のもとであった悪が遠ざかり、安心して眠ることができる。

これも現代の話だ。

 地下鉄に毒を撒き散らしても、彼らにとっては「善いこと」なのだ。彼らには彼らの善と悪を判断する独裁者が居るからだ。


 だから、もうやめよう。

悪い=私は嫌い。
良い=私は好き。


それだけ。

 それでも怖いか。 自分の「好き」自分の「嫌い」で生きるのが怖いか。誰かに定義して欲しいか。それなら独裁者の国へ行け。独裁者の宗教に縋れ。
 お前は「悪く」などない。父性を他者に求める心もあるだろう。
 ただ、自分で考えずに人を傷つけるな。
 私は自分で考えない奴、自分で感じない奴が「大嫌い」だ。

 それだけ。

 私の世界には既に、善も悪も無い。

 「好き」「嫌い」で生きる私が怖いか?
 安心していいと思う。
 私は自由が「大好き」だから、法律に反することはあまりしないだろう。

 さようなら、20世紀。さようなら。

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