象は、「人間の良い所だけを集めたような動物」
と言われます。
鯨も、保護団体の心を異常なまでに捉えるほどの、何かを持ち合わせた動物のようです。
「大きな動物程、優しい心を持っている」
そう言われます。
その時、「人間はどうなんだろう」 と、考える人も多いのではないでしょうか?
私、つい此間家に帰宅した時、玄関先のナメクジを思いっきり踏んでしましました。いつもは慎重に避けたり、そっとつまんで草むらに戻したりするのですが、その時ちょっとしたことがあって涙で前が霞んでいたのです。
ブーツの裏に貼り付いて、ナメクジの圧死体も玄関内まで付いてきました。
いつも思います。
虫を殺すのは嫌で、いつも足元に注意して歩いているのに、不注意なあいつらは呑気に足の下に登場する。私はそいつが潰れる度に、悔しくてなりません。こちらは殺したくなくて、注意して歩いているというのに!
どこかの本で読みました。人間の足元土の下には、何万という命がいると。
そして、人間程他の命を犠牲にして生きている生物はいない、と。
思いました。
鯨が大きな口を開けて海水を吸って、アミどもを体内に取り入れる時、何を考えているのだろうかと。食べたくない時に口を開けて、小魚が入って食べたとき、何を感じるのかと。
沢山沢山の小さな生き物を踏んづけないと生きられない、大きな動物。
多くの小さな命を食べないと、生きられない動物。
人間の体こそ小さいけれど、犠牲にする命の数は、鯨や象よりもダントツで一番。それも本で読みました。
ナメクジの圧死体を見た瞬間、思いました。
ああそうかあ・・・。大きな動物が優しいのは、沢山の命を犠牲にしているから。そして、沢山の命を犠牲にしている代表が、人間なんだな。
だから、地球上のピラミッドの頂点である人間は、こんなにも哀しい生き物なんだ。
そう思いました。
象も鯨も人間も、犠牲にしている命への意識ってきっとほとんどない。
肉おいしいおいしいって食べている。
感謝するのはアイヌや原始生活民くらい。
それでも精神になんらかの影響があるとすれば、未解明の命の宿るなにかが命の中で未解明な現象を起こしているのかもね。
いや
象も鯨も、犠牲にしてる命には感謝しているのか?
原始時代人間は、犠牲となる命に感謝したから心が育ったのであって、
犠牲になる命に感謝しなくなったら、心が退化するのか?
ありゃ・・・。