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   <title>コピペメモ</title>
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   <published>2008-02-21T12:04:26Z</published>
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   <summary>コピペメモ 472 名前：名無しさん＠八周年[] 投稿日：2008/02/21(...</summary>
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      コピペメモ
472 名前：名無しさん＠八周年[] 投稿日：2008/02/21(木) 15:25:48 ID:DBOU2eJh0

外人が日本人を特別視してるってのは、自分の歴史少しでも知ってたら誰でも分かるだろ。
まず、資源が全くないってことはすごいこと。もう両手両足もがれたぐらいのハンデ。
しかもすごいのは、米国の3分の1の人口、わずか25分の1の領土で、
その上そのただでさえ極小の国土の7割が山、山、山。なーんにもない、山・・・。
だから農業で輸出して食べていくことすらできない。条件からして最貧国でもおかしくない国。
そんな国が、100年ほど前で当時世界最強クラスだった露助とか清をあっさり倒して、
非白人国家で普通に白人常任倶楽部仲間入りしちゃってて、おまけに米国敵に回して
ガチで戦争して、世界で唯一米国本土爆撃して、英国の無敵艦隊フルボッコにして、
オランダ倒して、世界で唯一原爆落とさせるほどてこずらせて。しかも二発だよ。二発。
考えられない。敗戦とか言ってるけど日本のせいでアジアから白人の植民地全部消されたし。

しかも信じられないのは、戦争に負けてただでさえ何にもない国がさらに
インフラまで全部叩き潰されて、多額の賠償金まで背負わせて１００％再起不能に
しといた極貧衰弱国家で、今度こそ生意気なイエローモンキーが消えて数百年は
ウザイ顔見ないで済むと思ってたら、直ちに再び白人社会に経済で参戦して来くさって、
参戦どころかごぼう抜きでたった2,30年であっという間に米国さえ抜いて世界第一位。
東京の土地だけで米国全土が買えるほどの呆れた価値になっちゃう程の超絶経済力で
世界中(　ﾟДﾟ)ﾎﾟｶｰﾝ･･･状態。その後もずーっと二位維持。頭一本でそれ。
しかも経済の８０％が内需。内需だけでそれ。金融とかでまだ全然進出してないし
車や家電、工業製品ももまだまだ進出しきってなくてそれ。もうキチガイの域。
伸びしろありすぎワロタ。戦後60年一発も打たずに侵略せずにこれ。何気に世界最長寿国とかなってる。
んで今度は漫画・アニメ・ゲーム。気がつけばハリウッドの規模とっくに超えてる。
アメリカの検索で一位になってるのが日本のアニメとか。世界中で一番人気の映像作品が日本のアニメとか。
極めつけは世界一長い国号、2000年のどの白人より長い王室ならぬ、その上の皇室保有。
エンペラーに代表される歴史。普通の神経してたらこんな国怖くて関わりたくない。
      
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   <title>英司法省、一部の囚人にマイクロチップを埋め込み保釈することを検討</title>
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   <published>2008-01-14T04:37:07Z</published>
   <updated>2008-01-14T05:39:09Z</updated>
   
   <summary> 英司法省、一部の囚人にマイクロチップを埋め込み保釈することを検討【Techno...</summary>
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      <![CDATA[

<blockquote>
<a href="http://www.technobahn.com/cgi-bin/news/read2?f=200801140552&ref=rss"　target="_blank">英司法省、一部の囚人にマイクロチップを埋め込み保釈することを検討</a>【Technobahn 2008/1/14 05:52】英司法省が、刑務所の収容能力不足から一部の囚人に対して居場所を特定するためのマイクロチップを皮膚に埋め込んだ上で、これらの囚人を保釈する方向で検討入りをしたことが13日までに英インデペンデンス紙の報道により明らかとなった。
（略）
性犯罪者に対しても釈放時にはマイクロチップを埋め込むことで小中学校などの安全ゾーンに立ち入ることがないことがないように監視の手段として役立てる。
</blockquote>

『収容能力不足から～』というのがミソだが、アナログな<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%82%AC%E3%83%B3%E6%B3%95"　target="_blank">ミーガン法</a>のみの施行よりも格段に有難い手法である。（日本ではミーガン法どころか、野放し状態であるが）

私の考えとしては、性犯罪者、特に児童に対する性犯罪者は去勢手術を行うべきだと思う。
虐待しながらも子供を何度も妊娠出産する女性には、不妊手術を行うために国費を使うべきだ。

どちらも、初めは服役者の同意の上で良いと思う。

子供を虐待する女性の中には、無料で不妊手術をしてもらうことに容易に同意する者は多いと思われる。

性犯罪者の性感に関わる去勢が人道上問題だというのなら、万一を考え不妊手術（パイプカット）はすべきである。妊娠させる能力を持っていないことが頭にあることで、レイプ願望に影響するかもしれない。ただ、性欲には直接関係ないので再犯防止とは言い難い。
やはり去勢すべきである。
性犯罪者、児童への性犯罪者からは、「自分で止められない云々」の言葉を聞くことがある。
やはり無料の去勢に同意する者もいるのではないか。

とはいえ性に関わる対処は人道と強く結びついているようで、人権侵害・処罰的と認識されるようだ。
そうではなく、更生の手段であると私は主張したい。

一方、プライバシーというものは安易に司法によって左右できるものである。
「懲役」という刑たる刑も、プライバシーそのものへの処罰ととらえることもできる。
だからミーガン法が制定されたのである。

マイクロチップ埋め込みが可能となれば、性犯罪者の住居にしるしを掲げるなど『加害者に対する私的暴力のおそれ』『前科者の社会復帰を阻害』するような処置をしなくとも、再犯の防止を遂行できる可能性が高くなる。

マイクロチップには、GPS機能だけではなく、音声も24時間拾い監視できれば尚良い。

あくまで処罰ではなく、更生への手段である。]]>
      
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   <title>男女語録　一</title>
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   <published>2007-12-20T13:47:24Z</published>
   <updated>2007-12-20T13:48:58Z</updated>
   
   <summary>女は文明において愚かだ。 男は人生において愚かだ。...</summary>
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      女は文明において愚かだ。

男は人生において愚かだ。
      
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   <title>（私信）はしごたんへ</title>
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   <published>2007-11-14T14:30:09Z</published>
   <updated>2007-11-14T14:35:41Z</updated>
   
   <summary>幽霊部員のｋａｓｓｙです。 やっぱりこの時が来ちゃったか･･･ 件の記事は非表示...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://kassy.jpn.org/unum/">
      幽霊部員のｋａｓｓｙです。
やっぱりこの時が来ちゃったか･･･

件の記事は非表示になってるだけだよね？
消えてないよね？

大丈夫なサーバーに移動とかする場合は自分まで連絡下さったら本当に嬉しいです。

ｋａｓｓｙ＠ｋａｓｓｙ.ｊｐｎ.ｏｒｇ

前も言ったけど、書籍化してほしいな・・・
私につてがあったらいいのに。
      
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   <title>「可愛さ」という牙は</title>
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   <published>2007-10-06T17:28:46Z</published>
   <updated>2007-10-07T03:39:44Z</updated>
   
   <summary>情緒の面で平均的に成長した人間であれば、子犬や子猫、そして幼児を見て「可愛い」と...</summary>
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      <![CDATA[情緒の面で平均的に成長した人間であれば、子犬や子猫、そして幼児を見て「可愛い」と感じたことがあるはずだ。

<img alt="koneko.jpg" src="http://kassy.jpn.org/unum/upimage/koneko.jpg" width="120" height="80" target="_blank"/>

「可愛い」と思う気持ちを分析すると、符号があることに簡単に気付く。
大きく輝く瞳、細い声。太くて丸い体と手足のやららかさ。

体の大事な器官である瞳が大きいことは、見る側に無防備さを知らぬ間に感じ取らせる。
同じく、丸くて柔らかい体と手足は、他者を傷付ける余地のなさと、傷つきやすい無防備さを伝える。

「可愛い」と思う時は、「無防備だ」と感じるのと同時かそれよりも早くその感情に至る。
普通その状態にある人間は、「無防備・丸い・柔らかい」という理屈すら考えられない。
「可愛い」という感情は、受け取る人によっては強力な麻薬となる。
痛みを忘れさせ、ストレスを忘れさせ、全身の筋肉を弛緩させる強力な効果を発揮する。
その麻薬にとりつかれた人間は、「それ」を護るためには何も厭わないという行動にまで至る。


・・・


赤ちゃんが可愛い＝神秘・大切な存在だから当然で、神聖なことである―、と感じている人は多いかと思う。

しかし、それは違う。
「可愛さ」というのは、武器だ。

その根拠は、本当に生まれたての新生児を見たことのある者なら理解するだろう。
第一子を持ち非常に愛情深く育てている友人の言葉を借りると、
「最近は人間らしくなってきた。産まれて間もない頃は<strong>虫</strong>っぽかった」

その他、新生児を産み落とした文筆家たちの文章には、「サルみたい」「宇宙人っぽい」「愛らしいという感じではない」という言葉が並ぶ。

そして、それは人間の新生児だけに限ったことではない。
私自身、産まれて40時間以内の子猫を保護したことがある。
それ以前に、生後1ヶ月程度の子猫も保護したことがあるが、その時は上記のような「大きな目」「ムクムクした手足」にすっかりデレデレになったものだが、新生児を保護したときはそうではなかった。
本当に「これ」が、あんな「猫」という形になるのだろうか・・・という不思議さと、今にもに消えてしまいそうな小ささ、頼りなさ、儚さに、哀しい切ないような気持ちになったものだった。

その時に確信した。

「可愛さ・愛らしさ」とは、生き抜くための武器だ。

他者と戦うための爪が同じ。器用に生きていくための手指と同じ。
牙も爪も筋肉も、備わるには長い期間が必要だから、それまでの間に簡単に身に付く「武器を携える」のだ。
自分を護りえる成熟した者に、自分を護らせるため陶酔させる記号を。


<h3>哺乳類間の差を越える「可愛さ」</h3>
興味深いことに、その「記号」は、哺乳類間でほぼ共通のようだ。
他種の子供に母乳をやって保護する動物の話は、珍しいことではない。
私の知り合いの飼い犬も、捨て猫が居るとその場を動かず、それらを保護するまで動かなくなるという。
かくいう人間も、他種の子供の強力な武器にすっかり服従し、それらの種の繁栄を援助させられている。

<h3>「可愛さ」というジェンダー</h3>
云うまでもなく、男女間には様々な差がある。
その中で、女性の「被寵愛性」は特に大きい。

金を出して男が女を買う。
この図式は、どこの国でも成り立つ。
逆が起こるのは、極度に複雑化した社会の上でしかない。

「働いて自立したい」という女性が増えると同時に、「養われたい」と口に出す男性が目についてくる。
10年程前、働く女性の増加とともに養われる男性が増えるだろうという予測があったのか、一時期ヒモ男とそれを飼う女のドラマや小説などが多かったが、そういった関係を取り上げるメディアも衰退し、現代において実際のところその図式が多いかといえば、そうでもない。

只、結婚しない男女が増えたことは、統計の上でも明らかだ。

要は、「お金を出してでも異性が欲しい」のは、男であって、女がお金を持ったとしても平均的な女性であれば男を求めてお金を出すことはないし、養ってまで男を欲しいと思うことはまれだということだ。
持て余した愛情は、ペットに注ぐことで生活は充実する。

そして「養ってくれなくてもいいよ」と、放り出された男達はどうか。
それならそうと、趣味や仕事を恋人に独身生活を送リ続ける者も居れば、「やはり女性と結婚」と、結婚相談所へ足繁く通う者もいる。
性を求めなくなる男達もいるようだが、だからといって男性向けの女性風俗は衰退はしていない。むしろ多様化しながら栄えているようだ。
養うことを求められても求められなくても、多くの男性のお金は女性へと消えてゆくのである。

そして「可愛さ」への話へと戻るが、先の話から、女性は「（対男性）被寵愛性」という特徴を持っていることがわかる。

誰しもが、皆子供であった。
か弱い身体で、細い声を出して生まれ、無垢な瞳で保護する者を懸命に探していた筈だ。
しかし第二次性徴で、男性だけが細い声を取り去られ、柔らかさも奪われてしまう。
女性には、丸い身体もそのまま、声はうるさくなってもイザというときには細く甘えることのできる高さのまま。肌も男性に比べれば薄く柔らかいまま。

男性だけが、子供の頃は持っていた「可愛い」という武器を奪われるのか。
代わりに、筋肉と機敏性と攻撃性と創造力を女よりも多く与えられる。

それは本人の望むべからずとも・・・。

遺伝子の業か。
はたまた、遺伝子を操るモノの業か。


―また話は逸れるが、子供が第二次性徴を怖れる話は、たまに耳にする。
そういった話題を取り扱ったメディアもある。
その中で、「大人の女性になることを怖がる女児」の話はあっても、男児の話はあまり聞かないのはなぜか。
女性は、服の上からでも判るような性成長が起こるからなのかもしれない。
私自身、幼少の頃に胸が膨らむ夢を見てうなされたものだ。
一方、男児の性的な成長は、特に服の中で起こるということが、女児よりも性的成長の精神的受け入れが遅い理由の一つかもしれない。
また、服の中で起こるという陰徳された恐怖が男性特有の攻撃性を助長することに繋がっているのかもしれない。―

とにかく、私は女になりたいと思っていなかったし、未成熟のうちに成長が止まってしまえばいいのにと願ったし、望んだとおりの身体になった、という人は非常に少なく思える。

運動能力など与えられるものが多くとも、子供の頃の「可愛さ」を何かに奪い去られ、触ると痛い剛毛を与えられる「男性」という性は哀れともとれる。

それはなぜか。
それは遺伝子の―遺伝子を操るモノの―、「保護されるのはもうお終い、保護する側になれ」という命令である以外、考えられるだろうか。

女性は、子供の持つ「被保護（可愛い）の符号」を、成人しても受け継ぎながら、「性的魅力の符号」をも得る。遺伝子からの、「保護されよ」という命令だろうか。

そういった意味では、<i>「病めるしかも幾倍か不純なる子供とも云うべき女」</i>という、ヴィニーの句に簡単に反論することはできない。


遺伝子に「勝手に」選り分けられた私達は、それについてあれやこれやと悩みながら生きて死んでゆく。
一体どうしてこのようなことになったのか。


男女の歴史は長く、細胞分裂で男女の区別なく生きていたのは、アメーバの頃くらいである。
それ以降大部分の虫に雌雄があり、植物に雌雄があり、爬虫類に雌雄があり、哺乳類に雌雄がある。

それは、人間がすぐに議論したがる「優れているか劣っているか」ではなく、大きく二つの理由がある。
一つは『遺伝子の多様化のため（同一ウイルスによる絶滅を防ぐ）』と、『役割分担のため』である。

『役割分担』の面では、メスが巣で子供を護ってオスがエサを採りに行く恒温動物が多いが、虫や魚介類には、オスが子守を担うものもある。
もちろんオス子育てに参加せず、数撃ちに出る種は、哺乳類でも多くいる。人間という種の中でも個体によってはそのような生態のオスも多く存在する。
同種の中で役割分担＝協力することは、なにかを成し遂げる上でとても効率が良く、遺伝子も多様化・進化が速くなる。


そして駆け足の進化で、私達はここにきた。


人間は、狩猟民族時代が長い種であるが故に、危険の中で役割分担を明確にするほうがより遺伝子を残せるという判断の結果雌雄の差が大きくなったのであろう。
アジア人種の人々は海洋民族の血を濃く引いているからか、縄張り争いの激しい採取狩猟民族時代を長く経た人種の人々よりも男女間の身体的性差が比較的小さい。

そのような人種間の差こそあれ、欲深く危険な進化を遂げた名残として女は男にとって愛玩性を強く感じさせるものとなった。


<h3>武器を持たない者たち</h3>
一重の女性にお目にかかることが少なくなった。
二重は、一重の顔立ちに比べて表情が判りやすい。
だから二重は、「可愛さの符号」の大事なパーツである「瞳」を強調するための大事な要素なのだ。

このように「可愛さの符号」を説明できれば、「女性の愛される顔」も説明できる。

では、「可愛さの符号」を持って生まれなかった人達は？

子供も女も、全て同じではない。
目が小さい子、無愛想な子、身体のバランスが符号と違う子がいる。

彼女達は、男性の保護を受けられないのか？

女は、生まれ持った「可愛い」の符号に、さらに化粧を施してその符号を強化させる。
目はもっと大きく。肌はすべらかに見えるように。
そして針のようなピンヒールをよたよたと履いて、頼りなさまで演出しようとしている。
同じ女性でももちろん個体によって「可愛さの符号」への重要視度合いは違うが、そのように被保護のための符号を強化するような個体には、危険な時代を生きた際の本能の根強さを感じる。

符号を持つ女性も、持たない女性も、「保護されたい」という思いが強いからかどうか知らないが、「保護を乞う」ために自分を演出する者は多い。
顔立ちの整っていない女性でも、「可愛さの符号」を理解する者は巧みにメイク・仕草を演出し、符号を持って生まれても使い方の下手な女性に「なぜブスなのにもてるの？」と言わせる。

最近の整形手術の低料金化で、どれほどの女性が「顔立ちという符号」に不満を持っているかが明らかになった。

それだけ「見た目」の符号が重要視されているのは、人間という生物は、「視覚」が大きな意味合いを持つように進化した生物だからだと言われている。


しかし、男女間の「符号」の重要視は、先に書いた「争いの多い危険な時代」のものであるから、現代の女性にはナチュラルに強く生きて欲しい。
「可愛さの符号」を這いずり回って自分に貼り付け、安全なこの世界でオスに「被保護」を乞う姿は、人間の進化を妨げるものに見える。

願わくば私達・高等霊長類のメスは、被保護を目的とした符号としての可愛さではなく、それを超えた人間美・女性美を追求していきたいものである。




万が一、「被保護」という符号が再び必要な日―戦乱に巻き込まれる日が来たら―、私はその時それを役に立てるだろうか？

否、私の「可愛さの符号」は、惚れた男にしか使うことができない。
駄目な雌として散るだろう。
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   <title>日本240万人のリストカッターズ。</title>
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   <published>2007-06-28T21:29:32Z</published>
   <updated>2007-06-28T22:10:34Z</updated>
   
   <summary>宋 文洲の記事は初めて知ったが、こんな記事があった。 　些細なことで自殺する今日...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://kassy.jpn.org/unum/">
      <![CDATA[宋 文洲の記事は初めて知ったが、こんな記事があった。

<blockquote>　些細なことで自殺する今日の日本には、十分に幸せなはずなのに幸せになれない人々が、大勢います。理由は簡単です。失う経験がないからです。得ることは当然であり、足りないことを不幸と考えるのです。その足りないことは、他人との比較によって常に作り出しているのです。だから常に不幸なのです。 </blockquote>

http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20070618/127677/

私がこの考えに至ったのは、17・8才の頃だった。
子供の時分からずっと祖母・母に「お前は幸せだ」と言われ続けて、それで私はなぜ、事実死に対する願望が膨らむのか。
私は考え続けていた。
初めは、「自分が悪いからだ」と思っていた。<strong>「幸せな環境なのに、こんなにも苦しいのは、自分自身が悪だから」</strong>
そう思っていた頃が、一番重症だった。

恵まれていることと、幸せであることは、違う。
10代後半の私が、「自分で掴み取る幸せ」を少しずつ、少しずつ手にしながら、気付きはじめた。

10代の少年少女の人口、約240万人。
小学生の作成したHPのリンク集を見たことがあるか。
私が10代であったころと比べ物にならないくらいの少年少女が、声に出さずに叫んでいる。

そして、自らの血を少しだけ失いながら、微かな幸せを得、また少しだけ生きる糧とする。
それこそ、「失うことによる幸せの認識」である。

なんと悲しい認識方法だろうか。

太古から、人は生きることとは何か、幸福とはなにか、何を目指すべきかを思い、悩んできた。
その苦しんだ軌跡、共に考え続けること、それが「哲学」である。

「食べること」まずは食べること―「経済」を追ってきた、近代世界の大部分。
食べたら次は、幸せになること、それが目指すべきことで、それこそ祖先の願いである。
食べたら、また食べる、では、病気になり死に至るのを早めてしまう。

プラトンが1400年前に少年たちを集め無形を説いた、アカデメイアが何故今無いのか。
何故、「生きること」「幸せ」を話し合うことが、義務教育でなされないのか。

説く者がいなくても、ただ哲学の歴史について学べばよい。
自分の中に閉ざされた苦しみが、数千年も前から同じように誰かが悩み苦しんでいたことだと判るだけでも心の暗闇に小さくとも光は灯るだろう。

本当になんにも見えない、暗闇を抱えてしまった少年と少女は、目に映った世界も真っ暗闇である。
だから、なんだってできる。どんな凄惨な行為でも・・・心の眼が見えないのなら、できてしまう。

現代の大人は、私も含めて・・・ロウソクに火さえ点けられないのだろうか。
宗教国家であれば、ロウソクに火を点けることは容易いだろうか。
そもそも宗教は、ロウソクに火を点けやすくする燃料のようなものである。

無宗教国日本は、哲学大国にはなれないだろうか？

小さなロウソクの火でも、明りさえ灯れば暗闇は暗闇でなくなるのだから。]]>
      
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   <title>&quot;Ten-no&quot; is not Emperor of Japan.</title>
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   <published>2007-06-10T22:00:24Z</published>
   <updated>2007-07-05T06:29:49Z</updated>
   
   <summary>1998年のこんな記事を覚えている。 その記事に添えられていたのは、訪英の天皇が...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://kassy.jpn.org/unum/">
      <![CDATA[1998年のこんな記事を覚えている。
その記事に添えられていたのは、訪英の天皇が、パレード中に抗議を受けている写真だ。
なんでも第二次世界大戦中の元捕虜で、抗議といってもパレードの通りに沿い国旗を降ろして背を向けて立っているというものだから、さすがは英国紳士と妙に感心してしまった。
<a href="http://4travel.travel.msn.co.jp/e/msn/traveler/kumusta/pict/10563658/">(参照)　http://4travel.travel.msn.co.jp/e/msn/traveler/kumusta/pict/10563658/</a>

その記事の見出しに記されていた、「Emperor of Japan」という文字を見て、考え込んでしまった。
Japanese Emperor？
天皇は「てんのー」なのに･･･。
特に私は、左翼的ともいえる戦後50年教育の申し子である。

同年代の女学生達は、皇室の暮らしぶりを耳にするとこぞって、「テンノーはずるい！」「テンノーはいらない、税金のムダ！」と悪口を叩いている。

日本国内で小娘に「テンノーイラナイ」よばわりされているにこやかなおじさんが、外国では「Emperor of Japan」。酷い違和感である。

「Ten-no」と「Emperor of Japan」。
語感に大きなイメージの差があるだけでなく、調べるところによると、Emperorの意味しているものはとんでもないものである。
ローマ法王（Pope）、女王・国王（Queen,King）、大統領（president）、首相（premier）よりも偉いという位置づけにあるのが天皇（Emperor）（小文字から始まるemperorは皇帝で、また別）というではないか。

これは明らかに誤訳ではないのか。

誤訳というものは恐ろしいもので、原爆を投下された原因ではないかとすら言われている。
<a href="http://www.amazon.co.jp/%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E3%82%92%E3%81%8B%E3%81%88%E3%81%9F%E8%AA%A4%E8%A8%B3-%E9%B3%A5%E9%A3%BC-%E7%8E%96%E7%BE%8E%E5%AD%90/dp/4101459215"><img src="http://g-ec2.images-amazon.com/images/I/515WCG5ZF9L._AA240_.jpg"></a>

また、英語が世界公用語のようになってしまうことも、平和を目指す上ではどうなのか。

「congenital biliary atresia」と言われてもbiliary、atresiaなどの単語は、常用単語ではないらしくEnglish speakerであってもそのまま意味がわかる人はまれらしい。
これを「先天性胆道閉鎖症」と表意文字（漢字）で表せば、漢字一文字ずつの意味さえわかっていればかなり正確に理解することができる。
<a href="http://www.amazon.co.jp/%E3%83%80%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%81%AF%E5%A4%96%E5%9B%BD%E4%BA%BA%E2%80%95%E5%A4%96%E5%9B%BD%E4%BA%BA%E3%81%AE%E5%BD%BC%E3%81%A8%E7%B5%90%E5%A9%9A%E3%81%97%E3%81%9F%E3%82%89%E3%80%81%E3%81%A9%E3%83%BC%E3%81%AA%E3%82%8B%E3%81%AE-%E3%83%AB%E3%83%9D%E3%80%82-%E5%B0%8F%E6%A0%97-%E5%B7%A6%E5%A4%9A%E9%87%8C/dp/4840106835"><img src="http://g-ec2.images-amazon.com/images/I/51T8GJ6DF3L._AA240_.jpg"></a>

しかし、表意文字を発音した場合、異口同音が多いため、口語として使うなら表音文字（英語など）が平和的なのかもしれない。

私としては、「インド英語」が世界公用語に適していると考えている。
例として、「Wednesday」この読み方を教えられなければ誰も「ウェンズデイ」とは読まないだろう。
しかし、インドでは見たまま「ウェドゥネスデイ」と読むらしい。

教えられなければ正しく喋れない、閉鎖的な言葉よりも、見たまま読めるほうが健全である。
しかし、見たまま読むにしても、母国語が何であるかによって変わってくるだろう。
結局、どの言葉も方言なのである。

話が言語についてにまで至ってしまったが、私が違和感を覚えた9年前に世界中の和英・英和辞典を修正していたならば、もっと世界と日本は仲良くしていたかもしれない。

尤も、英語圏の辞書を直したところで、特定アジアからの政治的反日扇動が静るものでもあるまいが。]]>
      
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   <title>踏みしだく命に比例してその心は優しく深くなる</title>
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   <published>2006-11-23T18:45:07Z</published>
   <updated>2006-12-23T18:52:57Z</updated>
   
   <summary>象は、「人間の良い所だけを集めたような動物」 と言われます。 鯨も、保護団体の心...</summary>
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      <![CDATA[<strong>象</strong>は、「人間の良い所だけを集めたような動物」
と言われます。
鯨も、保護団体の心を異常なまでに捉えるほどの、何かを持ち合わせた動物のようです。

「大きな動物程、優しい心を持っている」

そう言われます。
その時、「人間はどうなんだろう」　と、考える人も多いのではないでしょうか？

私、つい此間家に帰宅した時、玄関先のナメクジを思いっきり踏んでしましました。いつもは慎重に避けたり、そっとつまんで草むらに戻したりするのですが、その時ちょっとしたことがあって涙で前が霞んでいたのです。
ブーツの裏に貼り付いて、ナメクジの圧死体も玄関内まで付いてきました。

いつも思います。
虫を殺すのは嫌で、いつも足元に注意して歩いているのに、不注意なあいつらは呑気に足の下に登場する。私はそいつが潰れる度に、悔しくてなりません。こちらは殺したくなくて、注意して歩いているというのに！

どこかの本で読みました。人間の足元土の下には、何万という命がいると。
そして、人間程他の命を犠牲にして生きている生物はいない、と。

思いました。
鯨が大きな口を開けて海水を吸って、アミどもを体内に取り入れる時、何を考えているのだろうかと。食べたくない時に口を開けて、小魚が入って食べたとき、何を感じるのかと。

沢山沢山の小さな生き物を踏んづけないと生きられない、大きな動物。
多くの小さな命を食べないと、生きられない動物。
人間の体こそ小さいけれど、犠牲にする命の数は、鯨や象よりもダントツで一番。それも本で読みました。

ナメクジの圧死体を見た瞬間、思いました。
ああそうかあ・・・。大きな動物が優しいのは、沢山の命を犠牲にしているから。そして、沢山の命を犠牲にしている代表が、人間なんだな。
だから、<strong>地球上のピラミッドの頂点である人間は、こんなにも哀しい生き物なんだ。</strong>
そう思いました。

象も鯨も人間も、犠牲にしている命への意識ってきっとほとんどない。
肉おいしいおいしいって食べている。
感謝するのはアイヌや原始生活民くらい。

それでも精神になんらかの影響があるとすれば、未解明の命の宿るなにかが命の中で未解明な現象を起こしているのかもね。

いや
象も鯨も、犠牲にしてる命には感謝しているのか？
原始時代人間は、犠牲となる命に感謝したから心が育ったのであって、

犠牲になる命に感謝しなくなったら、心が退化するのか？
ありゃ・・・。
]]>
      
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   <title>子供の名前は芸名じゃない</title>
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   <published>2006-05-26T18:41:55Z</published>
   <updated>2006-12-23T18:53:22Z</updated>
   
   <summary>子供の名前は芸名じゃない 子供の名前は、芸名じゃない。コスプレイヤーネームじゃな...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://kassy.jpn.org/unum/">
      子供の名前は芸名じゃない
子供の名前は、芸名じゃない。コスプレイヤーネームじゃない。
ペンネームではない。ハンドルネームでもない。

瑠、夢、涙・・・

ここで討議したいのは、強くなんらかのイメージが浮かぶ名前の、戸籍上の命名についてだ。
そういった名前を子供に付けようとしている人は、少し考えてほしい。

綺麗な響き、字面。
夢のある名前。

美や夢があるのは結構。でも、それが子供という、将来自我を持つことが確定している個人の一生に、逃れられることのない名前として与えられるとすると、別だ。

昔から、響きや字面が綺麗な名前というものは使われてきた。
そういった名前に憧れた人がいるだろう。実際、そういった名前に憧れて、子供にもそれを与えたいと思うのだろう。

けれど、そういった美麗な名前は、大抵が芸名であり、ペンネームである。
「夢を与えるのが仕事」な人達の特権であった。

いや、特権というよりも、夢を与えるために、自分を「現実」から引き剥がし、「夢に身を置くため」の手段である。
そういった仕事を選んだ人間が、「自分の意思で、自分に」付けるのである。
美麗な名前に限らず、当て字や響きで個性を主張する名前もそうである。

また、もちろん「仕事」だけではない。
現実の中の自分が、現実から逃げ去るために・・・
自分が夢想する自分に追いつくために・・・

自分になんらかの「別名」を持たせる。
特に女性であれば、思春期の自分に「それ」を与えた人は少なくはない筈だ。
インターネットなど、自分の「現実」を隠し、足を踏み入れる場を近くに持っていた子供であれば尚更だ。

かくいう私も、私の中に生きる「思春期の自分」にある名前が付いている。
それは、私が夢想する私の名前で、それは響きも字面も意味も、その夢想のために考え抜いたものである。

だから、響きや字面や意味に、夢を込め膨らませて考える行為の「楽しさ」を十分に知っている。

でもそれは、自分が自分のために、夢や希望を込めて与えたものだから大切な名前なのだ。
その名前は、「与えられた現実」から解き放たれ、抵抗し、夢を思い描くためのものである。
「私のための夢のもの」であって、「現実」がなくなるわけではない。
私が自我を持つ前の現実、逃れられない現実、与えられた現実、目を背けたい現実、素朴な幸せのある現実。
その現実と、自分の思い描く夢と、その間に境界線を描くための「名前」だった。

芸能人でも芸人でも、作家でも、プロレスラーでも、そうなのではないか。

人は、夢を見る。
だけど、現実がある。
現実は、生臭くて、残酷で、汚くて、暖くて、冷たい。
子供は、望もうとも望むまいとも、現実を生きてゆかなければならない。

子供は、親の見る「夢」ではない。
おしっこをし、うんちをし、食べ物をこぼし、泣く、めんどくさい「現実」そのものなのだ。
線の細い、美しい名前を与えられても、筋骨隆々、油っぽい男に育つ、その現実。

現実は時に、親の夢とは異なり、名前から強くイメージされる雰囲気と無関係に、子供は育つだろう。
そのとき、名前のイメージと、子供の現実のイメージのギャップは、子供ではなくまず周りが反応するだろう。
笑いものにするだろう。それが現実だ。

現実を、受け入れ、愛する。
それができることは、素晴らしいことだと思う。

でももし、夢を見る乙女の気持ちで、強いイメージのある名前を子供につけようとしているのなら。
あなたは親ではなく、思春期の子供なのではないか？

私は比較的普通の名前を付けられたことに感謝している・・・
もっと地味な名前でもよかったが。
それは私が、「現実」を生きるのに適しているからである。

私の「夢」を夢から引きずり出し、力を与え、私の思い通りに動かす時期は、私が決めたい。
もしかしたら、一生表には出さないのかもしれない。

それまで私は私の「現実の名前」で・・・この現実という世界の地べたを生きていく。
現実という世界の地べたに居たまま、浮かれた名前など背負わなくて本当に良かったと思う。
      
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   <title>殺</title>
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   <published>2005-07-19T18:40:32Z</published>
   <updated>2007-10-09T13:42:59Z</updated>
   
   <summary>Q『どうして人を殺しちゃいけないの？』 A『悲しむ人が居るからです』 　許せない...</summary>
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      Q『どうして人を殺しちゃいけないの？』

A『悲しむ人が居るからです』


　許せないくらい、悲しむ人がいるからです。

　人を殺した人の正しい刑は、死刑ではありません。

　被告の一番愛する人を同じ方法で殺すことです。

　被告に愛する人がいなければ、愛を育てるところからはじめます。

「どうして人を殺しちゃいけないの？」「ははは。それは難しい質問だな。お前だって、殺されたらイヤだろう？誰だって死にたくないからさ」「じゃあ、自分が死んでもいいと思ってる人は、人を殺してもいいの？」「ははは。自分が死んでもいいからって人を殺しちゃだめなんだよ」「だめって誰が決めたの？戦争ならいいの？」
　そんな質問するガキのママを連れてきてナイフでも当てるのが一番です。

　元殺し屋が、家族を殺されて復讐して、また復讐仕返したりするバイオレンス映画が嫌いです。
　大切な人を殺されたくなかったら、人を殺さなければいいだけの話です。

　『どうして人を殺しちゃいけないの？』
　私が16の時、14才の少年Aが人を殺した。
　即答できずに悩む「大人」達が、昔私は怖かった。
      
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   <title>死</title>
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   <published>2005-07-09T18:37:58Z</published>
   <updated>2006-12-23T18:53:22Z</updated>
   
   <summary>死は生者のものであって、死者のものではない。 　葬式も死者のものではなく、生者の...</summary>
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      死は生者のものであって、死者のものではない。


　葬式も死者のものではなく、生者のためのものだ。
　お経はヒーリングミュージック。
　仏閣も仏具も法事もヒーリングツール。
　お経で成仏しなければいけないのは、死者ではなくて、
　残された人の心の靄。

　トランスとお経は本当に似てるなあ、と聞くたび思う。


　死んだらどこへ行くかって、そりゃ、生ものだから地球に還るでしょう。
　心も同じ。

　広義では地球は宇宙から来たんだから、宇宙に還るともいうかもね。
　うまく心の分解も進めば、宇宙を孕むものも認識できるかもしれない。
　そしたら、おめでとう。
      
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   <title>20世紀末日をもって善悪という言葉は終了しました</title>
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   <published>2005-04-24T18:30:41Z</published>
   <updated>2006-12-23T18:53:22Z</updated>
   
   <summary>20世紀末日をもって善悪という言葉は終了しました 20世紀末日をもって善悪という...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://kassy.jpn.org/unum/">
      20世紀末日をもって善悪という言葉は終了しました
20世紀末日をもって善悪という言葉は終了しました。
　何を語るよりも前に、
　このサイトがテキストサイトなのか、それとも別のサイトなのかなんなのかも決まる前に、最初にこのルールを掲げよう。 
　全世界の、言葉を持つ数十億人の人々に、本気でこのルールを行使して欲しい。

　もうやめましょう。

　良い、悪い。
　その表現は19世紀の間に捨てるべきでした。
　良い、悪い。善悪。この言葉が、人の思考を停止させます。

　見るといい。
　この言葉を追いかけ命を奪い合い、それでも何が善か、何が悪か、考えるほど悪を狩る程わからなくなって悩み苦しむ人がなんと多いか。

　わかる訳がない。
　善悪などどこの世界にも存在しないのだから。
　人は、善悪という言葉の根元を常に考えるべきだった。


　根元とは？
　善悪という言葉の根元は、その言葉を造り出した人間、そのものの中にある。
　人間とは則ちあなただ。
　あなたが、嫌と感じるか、喜びを感じるか。
　これが善悪の根元である。


　昔、国の統治者は、平和をつくるために、多くの人が強く嫌だと感じる行動をとった者に、罰を与えることにした。
　それが罪や法の起源である。

　そして人はなぜか、「多くの人が嫌がる行為」を、悪という言葉でひっくるめてしまった。

　A国とB国があった。A国とB国では、「多くの人が嫌がる行為」と「多くの人が喜ぶ行為」逆であった。
　A国とB国では、それぞれの国の中で「多くの人が嫌がる行為」を禁止し、平和を保っていた。
　A国にある優しく真面目な娘がいた。娘は、毎日「多くの人が喜ぶ行為」を行い、「多くの人が嫌がる行為」を憎み、皆に愛されていた。
　しかし彼女は、B国の噂を聞いた。
　その国では、自分が毎日している事が嫌がられ、自分が憎んでいた行為が喜ばれるらしい。
　彼女は急に怖くなってしまった。自分は、絶対に人の嫌がることはしたくない。
皆に喜ばれたい。それなのに、自分の毎日していたことは他の国の人々の嫌がることだった？
　そんなはずはない！
　私は人の嫌がることをしている訳がない！私は「悪くない」！「良いことをしているのよ」！

　彼女がそう叫んだ瞬間、B国の「多くの人が喜ぶ行為」を「悪いこと」と定義付けてしまったのだ。
　B国でも彼女と同じ、真面目な人が「多くの人が喜ぶ行為」を一生懸命皆のために行っているかもしれないのに。

　自分のしている行為が、皆も喜ぶと信じたいがために。
　自分の生き方が誰かを傷つけていることから目を反らすために。
　自分を正当化するために。

善と悪が生まれた。

　結局、A国は、B国を滅ぼした。「悪いことを行う国」だからだ。
　B国で、皆を喜ばせるために真面目に働いていた娘がいたが、娘は「悪いこと」をしているという理由で殺された。

　A国の娘が、「私の家族や友人は喜ぶけど、あなたの国では嫌がられるのね」という風に納得していれば、B国の娘は殺されずに、幸せに暮らしていたかもしれない。

　本当に、B国が滅ぶ必要はあったのか？

　A国の人々はこう答えた。「B国は悪い国だったから良かったんだ」と。

　B国の娘の死体から流れた涙は、全て砂に吸い込まれてしまった。

愚話？残念。
現代の話である。



　そして今この瞬間さえも、地球で一番大きな国の兵士が、「悪」という自分を正当化するために生まれた言葉に判断をまかせて、B国の娘を殺している。
　誤爆で吹き飛んだ家でバラバラになった子供の死体を見ても、自分ですべきことを自分で判断せず「悪」という言葉に判断を任すのである。
　だから「悪を滅ぼすため」と言われればいくらでも殺せるのである。


　また、善悪の考え方には、宗教が強く汲みしている。
何万年も前の太古の昔から宗教があるが、善悪の概念を生み出した宗教は少なくないだろう。
　昔も今も、人は混沌とした闇に脅える。
　その恐怖から逃れるために、善悪の概念は大いに役に立つ。
　闇の中で震えながら、人はイメージする。
　世界が善と悪の二つに分かれている。
　自分は、分かれた世界の善の側にいる。自分は善に守られ、自分の恐れる悪はこちらに入って来れない。
　なぜなら自分は善を信じ、日々善を行っているからだ。
　そう考えることで、心の恐怖のもとであった悪が遠ざかり、安心して眠ることができる。

これも現代の話だ。

　地下鉄に毒を撒き散らしても、彼らにとっては「善いこと」なのだ。彼らには彼らの善と悪を判断する独裁者が居るからだ。


　だから、もうやめよう。

悪い＝私は嫌い。
良い＝私は好き。


それだけ。

　それでも怖いか。 自分の「好き」自分の「嫌い」で生きるのが怖いか。誰かに定義して欲しいか。それなら独裁者の国へ行け。独裁者の宗教に縋れ。
　お前は「悪く」などない。父性を他者に求める心もあるだろう。
　ただ、自分で考えずに人を傷つけるな。
　私は自分で考えない奴、自分で感じない奴が「大嫌い」だ。

　それだけ。

　私の世界には既に、善も悪も無い。

　「好き」「嫌い」で生きる私が怖いか？
　安心していいと思う。
　私は自由が「大好き」だから、法律に反することはあまりしないだろう。

　さようなら、20世紀。さようなら。

      
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