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	<title>CODE::UNUM &#187; 二限目　-社会-</title>
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	<description>コード・ユーナム　言論と主張。社会、哲学、犯罪、科学について。 リンクフリー。</description>
	<pubDate>Thu, 19 Nov 2009 03:22:46 +0000</pubDate>
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		<title>どんどん音楽をダウンロードしよう　～音楽が『音・楽』に戻る時～</title>
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		<pubDate>Wed, 18 Nov 2009 22:41:23 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[二限目　-社会-]]></category>

		<category><![CDATA[P2P]]></category>

		<category><![CDATA[ダウンロード]]></category>

		<category><![CDATA[情報化社会]]></category>

		<category><![CDATA[経済]]></category>

		<category><![CDATA[著作権]]></category>

		<category><![CDATA[音楽]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://kassy.jpn.org/unum/?p=52</guid>
		<description><![CDATA[
曲をダウンロードされて暮らせなくなる音楽家は、音楽の仕事を辞めればいい。
他に仕事を持って、趣味で音楽をやればいいと思いますよ。
もともと趣味で”あなた”よりいい音楽を提供している人は沢山いるんです。
そういうことです。

ドンチャンやって、歌って、楽しいのは、宴会場のおじさんだって同じです。
あなたでなくたってやりたい人はいくらでもいるし、できるんです。

1990年代まではCDやレコードを出して、ワーッという程のお金持ちになった。
あなたがそんなにも得たお金は、別にあなたの作った音楽そのものに出されたお金じゃないんです。
人々は、『音楽』そのものにお金を出していたんです。
当時は『CD』等の物体に音楽が入っており、書き込み可能な『CD-R』というものも出回っていなかったので『音楽』を得る手段として”その時一番便利だから”『CD』を買ったんです。
音楽をやる人間はいくらでもいる。
人々が気軽に買える値段でCDを量産するために、その中からレコード会社さんが『人々が求める音楽』を選んだ。
それがたまたまあなただった。
よかったですね。CDが売れたのだから、『人々の求める音楽』を作ることができていたわけです。

でもあなたの音楽は、その中の何人の『自分の求める音楽』でしたか？
山ほどのファンレターの差出人に、「音楽を作り続けるお金がないので、1000円ずつ寄付してください」と手紙を出してみたらどうでしょう。
どうです？
暮らせるだけのお金が集まりましたか？
集まったのならよかったですね。

それが『あなたの作った音楽』の、純粋な価値ですよ。

その調子で求める人たちに、音楽を作り続けてください。
え？とてもじゃないけど集まらない？
きっと、ネットで無償で曲を公開しているような提供者の音楽に満足しているんでしょうね。
今は技術が進化して、音楽のダウンロードを含めたやりとりはもちろん、作曲のソフトも多くなってきましたからね。
そういう方が、なんで音楽を無償で提供しているかって？無理してるんじゃないかって？

本当に好きな趣味だったら、より多くの人に聴いてほしいと思いますよね。
趣味のために仕事をがんばりますよね。

え？

オレはタダでなんか歌えない？そんな気持ちは忘れてしまった？

・・・晴れた日に、原っぱで好きに歌ってみてはどうでしょうか・・・。
音楽とは何か、考えてみてください。ネ。


「デジタル音楽はタダ」

「デジタル音楽はタダ」国民性の乱れと憂慮、レコ協・石坂会長
http://internet.watch.impress.co.jp/docs/news/20091118_329854.html
“ダウンロード違法化”とは、違法に配信されている音楽・映像を、違法と知りながらダウンロードすることを、私的使用目的であっても権利侵害とするもの。私的使用のための複製について規定した著作権法第30条の改正により盛り込まれた。この法改正について石坂会長は「長い間、レコード協会が宿願として目指していたもの。文化庁のたいへんな尽力と関係諸団体の協力を得て実現した」とコメントした。

はい、そうですよ。タダです。

資本主義ってわかりますか？
『価値』ってなんだかわかりますか？？
『誰かの求めること』に価値があるんです。
『誰かの求めること』で『簡単に提供できないこと』　には、それだけ『価値・価格』が高まるけど、それが『誰でも提供できること』になったら提供者が増えるのでその価値は下がるんです。

人は食べ物がなくては生きていけないけど、すぐに麦を育てて挽いてパンにすることができないから、できているパンにお金を出す。
例えば、パンを誰でも複製する技術ができたら？ベリヤーエフの『永久パン』のように。

それでもあなたはパンにお金を払い続けます？

音楽の話になりますが、音楽ってなんでしょう？
音ですね。音。空気の振動ですよね。
今は、録音技術によって、この空気の振動を高度に複製することができるようになりました。

そもそもパンと違って、無くても生きてゆける『空気の振動』

人々はたまの贅沢に、パンを我慢し心地よい『空気の振動』にお金を払っていたけれど、空腹を満しもしない『空気の振動』が、ましてや複製できるようになったら・・・。

『永久パン』ができて、パン屋さんは、店に来ずパンを複製して食べている元お客さんに怒っている。
石坂会長さん。
永久パンが出来た時代に、職を変えようか、ではなくて店に来なくなったお客さんに怒り出す。あなたのパン屋さん、余程儲かっていたのでしょうね。


著作権が純化され、良いものが残っていくインターネット社会
さて、さまざまな著作物をデータで簡単にやりとりできるこのダウンロード時代、著作権の侵害、侵害といいますが、インターネット社会は著作権にもの凄く厳しいんですよ。
JASRACが決めた、商業的な言葉上の『著作権』ではなく、本当に純粋な意味での著作権。

ある作品が世に出た一週間後には、
”どの作品”の”どの部分”が、”あの作品”のパクリだ
という情報が出ている。
漫画なら画像付き、音楽なら比較用にスピードを変えた音源付きだ。PVの国境を越えた比較もしかり。

その結果、パクった著作物で利益を得た作者は、そのパクりの酷さに応じて蔑まれる。

それが一昔前だったら、うまくパクって、『人々の求める何か』の作り手として利益を出していたであろう。
その証拠に、CDを出せば一躍大金持ちだった時代には、『どこかで聴いたような曲』ばかりが街で流れ、私と多くの人をうんざりさせていた。
動画サイトで、心から楽しんで音楽を提供している『歌姫』や『歌ヒーロー』が私たちを楽しませてくれる昨今、そんなCD狂想曲時代は懐かしくほろ苦い思い出だ。

また、ネット上では真にクリエイティブな作品が生み出されれば、それを他人に紹介し広めることも容易である。
ネット上では、出典を明記しての現物の紹介は、優良な制作者にとっては認められるチャンスに他ならない。


結論としては、お前らゴムさんの歌でも聴いてろと。


音楽以外のさまざまなソフトウェアのP2Pについてや肖像権など、議論してゆきたいインターネットに付随する事柄は色々とあるが、20年近く前に私が思ったように、インターネットは世界を変えたし、まだ序章に過ぎない。

インターネットは苦痛を与えることもあるが（例えば私自身が、ネットで集められたと思われる集団痴漢の被害に遭ったりなど）、人々が幸せを願う限り、それは幸福をもたらしてくれると思っている。


例えば上に書いたような『歌姫』や『歌ヒーロー』は、「才能の無駄遣い」と持ち上げつつ揶揄されている通り、「その才能を垂れ流したために埋もれてしまうのではないか？」というような心配もある。

しかし、お互いが幸せなら良いのではないか？

提供者の彼らが生活が苦しく歌い続けられないのであれば、その旨を『ネット上で』知らせ、なんらかの補助を呼びかけをすることもできるだろう。彼らの才能を愛する人に彼らは支え続けられるだろう。
Wikipediaの寄付ボタンのように、Paypalなどのシステムがもっと活用されるようになるだろう。


提供者と消費者がより対等になり、提供者優位の独占資本主義社会からの離脱が進んでゆく。そのように思います。

[関連]
文化庁が「ダウンロードの違法化」政令案に意見募集
http://japan.cnet.com/news/biz/story/0,2000056020,20403718,00.htm
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>
曲をダウンロードされて暮らせなくなる音楽家は、音楽の仕事を辞めればいい。<br />
他に仕事を持って、趣味で音楽をやればいいと思いますよ。<br />
もともと趣味で”あなた”よりいい音楽を提供している人は沢山いるんです。<br />
そういうことです。<br />
<span id="more-52"></span><br />
ドンチャンやって、歌って、楽しいのは、宴会場のおじさんだって同じです。<br />
あなたでなくたってやりたい人はいくらでもいるし、できるんです。<br />
<br />
1990年代まではCDやレコードを出して、ワーッという程のお金持ちになった。<br />
あなたがそんなにも得たお金は、別にあなたの作った音楽そのものに出されたお金じゃないんです。<br />
<strong>人々は、『音楽』そのものにお金を出していたんです。</strong><br />
当時は『CD』等の物体に音楽が入っており、書き込み可能な『CD-R』というものも出回っていなかったので『音楽』を得る手段として<strong>”その時一番便利だから”『CD』を買った</strong>んです。<br />
音楽をやる人間はいくらでもいる。<br />
人々が気軽に買える値段でCDを量産するために、その中からレコード会社さんが『人々が求める音楽』を選んだ。<br />
それがたまたまあなただった。<br />
よかったですね。CDが売れたのだから、『人々の求める音楽』を作ることができていたわけです。<br />
<br />
でもあなたの音楽は、その中の何人の『自分の求める音楽』でしたか？<br />
山ほどのファンレターの差出人に、「音楽を作り続けるお金がないので、1000円ずつ寄付してください」と手紙を出してみたらどうでしょう。<br />
どうです？<br />
暮らせるだけのお金が集まりましたか？<br />
集まったのならよかったですね。<br />
<br />
それが『あなたの作った音楽』の、純粋な価値ですよ。<br />
<br />
その調子で求める人たちに、音楽を作り続けてください。<br />
え？とてもじゃないけど集まらない？<br />
きっと、ネットで無償で曲を公開しているような提供者の音楽に満足しているんでしょうね。<br />
今は技術が進化して、音楽のダウンロードを含めたやりとりはもちろん、作曲のソフトも多くなってきましたからね。<br />
そういう方が、なんで音楽を無償で提供しているかって？無理してるんじゃないかって？<br />
<br />
本当に好きな趣味だったら、より多くの人に聴いてほしいと思いますよね。<br />
趣味のために仕事をがんばりますよね。<br />
<br />
え？<br />
<br />
オレはタダでなんか歌えない？そんな気持ちは忘れてしまった？<br />
<br />
・・・晴れた日に、原っぱで好きに歌ってみてはどうでしょうか・・・。<br />
<strong>音楽とは何か</strong>、考えてみてください。ネ。<br />
<br />
<br />
<h3>「デジタル音楽はタダ」</h3>
</p>
<blockquote><p>「デジタル音楽はタダ」国民性の乱れと憂慮、レコ協・石坂会長<br />
<a href="http://internet.watch.impress.co.jp/docs/news/20091118_329854.html">http://internet.watch.impress.co.jp/docs/news/20091118_329854.html</a><br />
“ダウンロード違法化”とは、違法に配信されている音楽・映像を、違法と知りながらダウンロードすることを、私的使用目的であっても権利侵害とするもの。私的使用のための複製について規定した著作権法第30条の改正により盛り込まれた。この法改正について石坂会長は「長い間、レコード協会が宿願として目指していたもの。文化庁のたいへんな尽力と関係諸団体の協力を得て実現した」とコメントした。</p></blockquote>
<p>
はい、そうですよ。タダです。<br />
<br />
資本主義ってわかりますか？<br />
『価値』ってなんだかわかりますか？？<br />
『誰かの求めること』に価値があるんです。<br />
『誰かの求めること』で『簡単に提供できないこと』　には、それだけ『価値・価格』が高まるけど、それが『誰でも提供できること』になったら提供者が増えるのでその価値は下がるんです。<br />
<br />
人は食べ物がなくては生きていけないけど、すぐに麦を育てて挽いてパンにすることができないから、できているパンにお金を出す。<br />
例えば、パンを誰でも複製する技術ができたら？ベリヤーエフの『永久パン』のように。<br />
<br />
それでもあなたはパンにお金を払い続けます？<br />
<br />
音楽の話になりますが、音楽ってなんでしょう？<br />
音ですね。音。空気の振動ですよね。<br />
今は、録音技術によって、この空気の振動を高度に複製することができるようになりました。<br />
<br />
そもそもパンと違って、無くても生きてゆける『空気の振動』<br />
<br />
人々はたまの贅沢に、パンを我慢し心地よい『空気の振動』にお金を払っていたけれど、空腹を満しもしない『空気の振動』が、ましてや複製できるようになったら・・・。<br />
<br />
『永久パン』ができて、パン屋さんは、店に来ずパンを複製して食べている元お客さんに怒っている。<br />
石坂会長さん。<br />
永久パンが出来た時代に、職を変えようか、ではなくて店に来なくなったお客さんに怒り出す。あなたのパン屋さん、余程儲かっていたのでしょうね。<br />
<br />
<br />
<h3>著作権が純化され、良いものが残っていくインターネット社会</h3>
さて、さまざまな著作物をデータで簡単にやりとりできるこのダウンロード時代、著作権の侵害、侵害といいますが、インターネット社会は著作権にもの凄く厳しいんですよ。<br />
JASRACが決めた、商業的な言葉上の『著作権』ではなく、本当に純粋な意味での著作権。<br />
<br />
ある作品が世に出た一週間後には、<br />
<strong>”どの作品”の”どの部分”が、”あの作品”のパクリだ</strong><br />
という情報が出ている。<br />
漫画なら画像付き、音楽なら比較用にスピードを変えた音源付きだ。PVの国境を越えた比較もしかり。<br />
<br />
その結果、パクった著作物で利益を得た作者は、そのパクりの酷さに応じて蔑まれる。<br />
<br />
それが一昔前だったら、うまくパクって、『人々の求める何か』の作り手として利益を出していたであろう。<br />
その証拠に、CDを出せば一躍大金持ちだった時代には、『どこかで聴いたような曲』ばかりが街で流れ、私と多くの人をうんざりさせていた。<br />
動画サイトで、心から楽しんで音楽を提供している『歌姫』や『歌ヒーロー』が私たちを楽しませてくれる昨今、そんなCD狂想曲時代は懐かしくほろ苦い思い出だ。<br />
<br />
また、ネット上では真にクリエイティブな作品が生み出されれば、それを他人に紹介し広めることも容易である。<br />
ネット上では、出典を明記しての現物の紹介は、優良な制作者にとっては認められるチャンスに他ならない。<br />
<br />
<br />
結論としては、お前らゴムさんの歌でも聴いてろと。<br />
<br />
<br />
音楽以外のさまざまなソフトウェアのP2Pについてや肖像権など、議論してゆきたいインターネットに付随する事柄は色々とあるが、20年近く前に私が思ったように、インターネットは世界を変えたし、まだ序章に過ぎない。<br />
<br />
インターネットは苦痛を与えることもあるが（例えば私自身が、ネットで集められたと思われる集団痴漢の被害に遭ったりなど）、人々が幸せを願う限り、それは幸福をもたらしてくれると思っている。<br />
<br />
<br />
例えば上に書いたような『歌姫』や『歌ヒーロー』は、「才能の無駄遣い」と持ち上げつつ揶揄されている通り、「その才能を垂れ流したために埋もれてしまうのではないか？」というような心配もある。<br />
<br />
しかし、お互いが幸せなら良いのではないか？<br />
<br />
提供者の彼らが生活が苦しく歌い続けられないのであれば、その旨を『ネット上で』知らせ、なんらかの補助を呼びかけをすることもできるだろう。彼らの才能を愛する人に彼らは支え続けられるだろう。<br />
Wikipediaの寄付ボタンのように、Paypalなどのシステムがもっと活用されるようになるだろう。<br />
<br />
<br />
提供者と消費者がより対等になり、提供者優位の独占資本主義社会からの離脱が進んでゆく。そのように思います。<br />
<br />
[関連]<br />
<q>文化庁が「ダウンロードの違法化」政令案に意見募集<br />
<a href="http://japan.cnet.com/news/biz/story/0,2000056020,20403718,00.htm">http://japan.cnet.com/news/biz/story/0,2000056020,20403718,00.htm</a></q></p>
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		<item>
		<title>経済に栄養はない。</title>
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		<pubDate>Sun, 21 Jun 2009 16:55:12 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[二限目　-社会-]]></category>

		<category><![CDATA[経済]]></category>

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		<description><![CDATA[
経済は、栄養ではないのだ、決して。

しかし刺激剤ではある。
おそらくコーヒーをこの世から消し去ったら、経済的な回転は何割か落ちるだろう。

とはいえ人はコーヒーだけでは生きてゆけない。
人の栄養となるのは栄養に他ならない。

栄養とは、即ち誰かが誰かにしてもらいたいことを叶えられたときに感じられる価値である。

景気はあくまで景の気であり、お祭りの具合である。
ただ私たちはお祭りの光に目をやられている。

呼吸を落ち着かせ、落ち着いて辺りを見回さなければならない。

人は助け合わなければ生きてゆけない性質のものなのだから、誰しもが誰かに求められるものを持っているはずだ。

コーヒーのような、覚せい剤のようなものにしがみつくことを止めなければ、皆栄養失調になってしまう。

まずは、栄養って何か考えてみよう。
漠然とでいいから。
皆、欲しいと思っていて、足りないもの･･･本当に必要なもの・・・

それを自己を省み他者に学び、真剣に考えなければ、本当の豊かさへは近づけない。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>
経済は、栄養ではないのだ、決して。<br />
<br />
しかし刺激剤ではある。<br />
おそらくコーヒーをこの世から消し去ったら、経済的な回転は何割か落ちるだろう。<br />
<br />
とはいえ人はコーヒーだけでは生きてゆけない。<br />
人の栄養となるのは栄養に他ならない。<br />
<br />
栄養とは、即ち誰かが誰かにしてもらいたいことを叶えられたときに感じられる価値である。<br />
<br />
景気はあくまで景の気であり、お祭りの具合である。<br />
ただ私たちはお祭りの光に目をやられている。<br />
<br />
呼吸を落ち着かせ、落ち着いて辺りを見回さなければならない。<br />
<br />
人は助け合わなければ生きてゆけない性質のものなのだから、誰しもが誰かに求められるものを持っているはずだ。<br />
<br />
コーヒーのような、覚せい剤のようなものにしがみつくことを止めなければ、皆栄養失調になってしまう。<br />
<br />
まずは、栄養って何か考えてみよう。<br />
漠然とでいいから。<br />
皆、欲しいと思っていて、足りないもの･･･本当に必要なもの・・・<br />
<br />
それを自己を省み他者に学び、真剣に考えなければ、本当の豊かさへは近づけない。</p>
]]></content:encoded>
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		<item>
		<title>&#8220;Ten-no&#8221; is not Emperor of Japan.</title>
		<link>http://kassy.jpn.org/unum/002/12.php</link>
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		<pubDate>Sun, 10 Jun 2007 22:00:24 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[二限目　-社会-]]></category>

		<category><![CDATA[天皇]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://kassy.jpn.org/unum/?p=12</guid>
		<description><![CDATA[
1998年のこんな記事を覚えている。
その記事に添えられていたのは、訪英の天皇が、パレード中に抗議を受けている写真だ。
なんでも第二次世界大戦中の元捕虜で、抗議といってもパレードの通りに沿い国旗を降ろして背を向けて立っているというものだから、さすがは英国紳士と妙に感心してしまった。
(参照)　http://4travel.travel.msn.co.jp/e/msn/traveler/kumusta/pict/10563658/
その記事の見出しに記されていた、「Emperor of Japan」という文字を見て、考え込んでしまった。
Japanese Emperor？
天皇は「てんのー」なのに･･･。
特に私は、左翼的ともいえる戦後50年教育の申し子である。
同年代の女学生達は、皇室の暮らしぶりを耳にするとこぞって、「テンノーはずるい！」「テンノーはいらない、税金のムダ！」と悪口を叩いている。
日本国内で小娘に「テンノーイラナイ」よばわりされているにこやかなおじさんが、外国では「Emperor of Japan」。酷い違和感である。
「Ten-no」と「Emperor of Japan」。
語感に大きなイメージの差があるだけでなく、調べるところによると、Emperorの意味しているものはとんでもないものである。
ローマ法王（Pope）、女王・国王（Queen,King）、大統領（president）、首相（premier）よりも偉いという位置づけにあるのが天皇（Emperor）（小文字から始まるemperorは皇帝で、また別）というではないか。
これは明らかに誤訳ではないのか。
誤訳というものは恐ろしいもので、原爆を投下された原因ではないかとすら言われている。

また、英語が世界公用語のようになってしまうことも、平和を目指す上ではどうなのか。
「congenital biliary atresia」と言われてもbiliary、atresiaなどの単語は、常用単語ではないらしくEnglish speakerであってもそのまま意味がわかる人はまれらしい。
これを「先天性胆道閉鎖症」と表意文字（漢字）で表せば、漢字一文字ずつの意味さえわかっていればかなり正確に理解することができる。

しかし、表意文字を発音した場合、異口同音が多いため、口語として使うなら表音文字（英語など）が平和的なのかもしれない。
私としては、「インド英語」が世界公用語に適していると考えている。
例として、「Wednesday」この読み方を教えられなければ誰も「ウェンズデイ」とは読まないだろう。
しかし、インドでは見たまま「ウェドゥネスデイ」と読むらしい。
教えられなければ正しく喋れない、閉鎖的な言葉よりも、見たまま読めるほうが健全である。
しかし、見たまま読むにしても、母国語が何であるかによって変わってくるだろう。
結局、どの言葉も方言なのである。
話が言語についてにまで至ってしまったが、私が違和感を覚えた9年前に世界中の和英・英和辞典を修正していたならば、もっと世界と日本は仲良くしていたかもしれない。
尤も、英語圏の辞書を直したところで、特定アジアからの政治的反日扇動が静るものでもあるまいが。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>
1998年のこんな記事を覚えている。<br />
その記事に添えられていたのは、訪英の天皇が、パレード中に抗議を受けている写真だ。<br />
なんでも第二次世界大戦中の元捕虜で、抗議といってもパレードの通りに沿い国旗を降ろして背を向けて立っているというものだから、さすがは英国紳士と妙に感心してしまった。<br />
<a href="http://4travel.travel.msn.co.jp/e/msn/traveler/kumusta/pict/10563658/">(参照)　http://4travel.travel.msn.co.jp/e/msn/traveler/kumusta/pict/10563658/</a><br />
その記事の見出しに記されていた、「Emperor of Japan」という文字を見て、考え込んでしまった。<br />
Japanese Emperor？<br />
天皇は「てんのー」なのに･･･。<br />
特に私は、左翼的ともいえる戦後50年教育の申し子である。<br />
同年代の女学生達は、皇室の暮らしぶりを耳にするとこぞって、「テンノーはずるい！」「テンノーはいらない、税金のムダ！」と悪口を叩いている。<br />
日本国内で小娘に「テンノーイラナイ」よばわりされているにこやかなおじさんが、外国では「Emperor of Japan」。酷い違和感である。<br />
「Ten-no」と「Emperor of Japan」。<br />
語感に大きなイメージの差があるだけでなく、調べるところによると、Emperorの意味しているものはとんでもないものである。<br />
ローマ法王（Pope）、女王・国王（Queen,King）、大統領（president）、首相（premier）よりも偉いという位置づけにあるのが天皇（Emperor）（小文字から始まるemperorは皇帝で、また別）というではないか。<br />
これは明らかに誤訳ではないのか。<br />
誤訳というものは恐ろしいもので、原爆を投下された原因ではないかとすら言われている。<br />
<a href="http://www.amazon.co.jp/%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E3%82%92%E3%81%8B%E3%81%88%E3%81%9F%E8%AA%A4%E8%A8%B3-%E9%B3%A5%E9%A3%BC-%E7%8E%96%E7%BE%8E%E5%AD%90/dp/4101459215"><img src="http://g-ec2.images-amazon.com/images/I/515WCG5ZF9L._AA240_.jpg" alt="" /></a><br />
また、英語が世界公用語のようになってしまうことも、平和を目指す上ではどうなのか。<br />
「congenital biliary atresia」と言われてもbiliary、atresiaなどの単語は、常用単語ではないらしくEnglish speakerであってもそのまま意味がわかる人はまれらしい。<br />
これを「先天性胆道閉鎖症」と表意文字（漢字）で表せば、漢字一文字ずつの意味さえわかっていればかなり正確に理解することができる。<br />
<a href="http://www.amazon.co.jp/%E3%83%80%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%81%AF%E5%A4%96%E5%9B%BD%E4%BA%BA%E2%80%95%E5%A4%96%E5%9B%BD%E4%BA%BA%E3%81%AE%E5%BD%BC%E3%81%A8%E7%B5%90%E5%A9%9A%E3%81%97%E3%81%9F%E3%82%89%E3%80%81%E3%81%A9%E3%83%BC%E3%81%AA%E3%82%8B%E3%81%AE-%E3%83%AB%E3%83%9D%E3%80%82-%E5%B0%8F%E6%A0%97-%E5%B7%A6%E5%A4%9A%E9%87%8C/dp/4840106835"><img src="http://g-ec2.images-amazon.com/images/I/51T8GJ6DF3L._AA240_.jpg" alt="" /></a><br />
しかし、表意文字を発音した場合、異口同音が多いため、口語として使うなら表音文字（英語など）が平和的なのかもしれない。<br />
私としては、「インド英語」が世界公用語に適していると考えている。<br />
例として、「Wednesday」この読み方を教えられなければ誰も「ウェンズデイ」とは読まないだろう。<br />
しかし、インドでは見たまま「ウェドゥネスデイ」と読むらしい。<br />
教えられなければ正しく喋れない、閉鎖的な言葉よりも、見たまま読めるほうが健全である。<br />
しかし、見たまま読むにしても、母国語が何であるかによって変わってくるだろう。<br />
結局、どの言葉も方言なのである。<br />
話が言語についてにまで至ってしまったが、私が違和感を覚えた9年前に世界中の和英・英和辞典を修正していたならば、もっと世界と日本は仲良くしていたかもしれない。<br />
尤も、英語圏の辞書を直したところで、特定アジアからの政治的反日扇動が静るものでもあるまいが。</p>
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		<title>子供の名前は芸名じゃない</title>
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		<pubDate>Fri, 26 May 2006 18:41:55 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[二限目　-社会-]]></category>

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		<description><![CDATA[
子供の名前は芸名じゃない
子供の名前は、芸名じゃない。コスプレイヤーネームじゃない。
ペンネームではない。ハンドルネームでもない。
瑠、夢、涙・・・
ここで討議したいのは、強くなんらかのイメージが浮かぶ名前の、戸籍上の命名についてだ。
そういった名前を子供に付けようとしている人は、少し考えてほしい。
綺麗な響き、字面。
夢のある名前。
美や夢があるのは結構。でも、それが子供という、将来自我を持つことが確定している個人の一生に、逃れられることのない名前として与えられるとすると、別だ。
昔から、響きや字面が綺麗な名前というものは使われてきた。
そういった名前に憧れた人がいるだろう。実際、そういった名前に憧れて、子供にもそれを与えたいと思うのだろう。
けれど、そういった美麗な名前は、大抵が芸名であり、ペンネームである。
「夢を与えるのが仕事」な人達の特権であった。
いや、特権というよりも、夢を与えるために、自分を「現実」から引き剥がし、「夢に身を置くため」の手段である。
そういった仕事を選んだ人間が、「自分の意思で、自分に」付けるのである。
美麗な名前に限らず、当て字や響きで個性を主張する名前もそうである。
また、もちろん「仕事」だけではない。
現実の中の自分が、現実から逃げ去るために・・・
自分が夢想する自分に追いつくために・・・
自分になんらかの「別名」を持たせる。
特に女性であれば、思春期の自分に「それ」を与えた人は少なくはない筈だ。
インターネットなど、自分の「現実」を隠し、足を踏み入れる場を近くに持っていた子供であれば尚更だ。
かくいう私も、私の中に生きる「思春期の自分」にある名前が付いている。
それは、私が夢想する私の名前で、それは響きも字面も意味も、その夢想のために考え抜いたものである。
だから、響きや字面や意味に、夢を込め膨らませて考える行為の「楽しさ」を十分に知っている。
でもそれは、自分が自分のために、夢や希望を込めて与えたものだから大切な名前なのだ。
その名前は、「与えられた現実」から解き放たれ、抵抗し、夢を思い描くためのものである。
「私のための夢のもの」であって、「現実」がなくなるわけではない。
私が自我を持つ前の現実、逃れられない現実、与えられた現実、目を背けたい現実、素朴な幸せのある現実。
その現実と、自分の思い描く夢と、その間に境界線を描くための「名前」だった。
芸能人でも芸人でも、作家でも、プロレスラーでも、そうなのではないか。
人は、夢を見る。
だけど、現実がある。
現実は、生臭くて、残酷で、汚くて、暖くて、冷たい。
子供は、望もうとも望むまいとも、現実を生きてゆかなければならない。
子供は、親の見る「夢」ではない。
おしっこをし、うんちをし、食べ物をこぼし、泣く、めんどくさい「現実」そのものなのだ。
線の細い、美しい名前を与えられても、筋骨隆々、油っぽい男に育つ、その現実。
現実は時に、親の夢とは異なり、名前から強くイメージされる雰囲気と無関係に、子供は育つだろう。
そのとき、名前のイメージと、子供の現実のイメージのギャップは、子供ではなくまず周りが反応するだろう。
笑いものにするだろう。それが現実だ。
現実を、受け入れ、愛する。
それができることは、素晴らしいことだと思う。
でももし、夢を見る乙女の気持ちで、強いイメージのある名前を子供につけようとしているのなら。
あなたは親ではなく、思春期の子供なのではないか？
私は比較的普通の名前を付けられたことに感謝している・・・
もっと地味な名前でもよかったが。
それは私が、「現実」を生きるのに適しているからである。
私の「夢」を夢から引きずり出し、力を与え、私の思い通りに動かす時期は、私が決めたい。
もしかしたら、一生表には出さないのかもしれない。
それまで私は私の「現実の名前」で・・・この現実という世界の地べたを生きていく。
現実という世界の地べたに居たまま、浮かれた名前など背負わなくて本当に良かったと思う。

]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>
子供の名前は芸名じゃない<br />
子供の名前は、芸名じゃない。コスプレイヤーネームじゃない。<br />
ペンネームではない。ハンドルネームでもない。<br />
瑠、夢、涙・・・<br />
ここで討議したいのは、強くなんらかのイメージが浮かぶ名前の、戸籍上の命名についてだ。<br />
そういった名前を子供に付けようとしている人は、少し考えてほしい。<br />
綺麗な響き、字面。<br />
夢のある名前。<br />
美や夢があるのは結構。でも、それが子供という、将来自我を持つことが確定している個人の一生に、逃れられることのない名前として与えられるとすると、別だ。<br />
昔から、響きや字面が綺麗な名前というものは使われてきた。<br />
そういった名前に憧れた人がいるだろう。実際、そういった名前に憧れて、子供にもそれを与えたいと思うのだろう。<br />
けれど、そういった美麗な名前は、大抵が芸名であり、ペンネームである。<br />
「夢を与えるのが仕事」な人達の特権であった。<br />
いや、特権というよりも、夢を与えるために、自分を「現実」から引き剥がし、「夢に身を置くため」の手段である。<br />
そういった仕事を選んだ人間が、「自分の意思で、自分に」付けるのである。<br />
美麗な名前に限らず、当て字や響きで個性を主張する名前もそうである。<br />
また、もちろん「仕事」だけではない。<br />
現実の中の自分が、現実から逃げ去るために・・・<br />
自分が夢想する自分に追いつくために・・・<br />
自分になんらかの「別名」を持たせる。<br />
特に女性であれば、思春期の自分に「それ」を与えた人は少なくはない筈だ。<br />
インターネットなど、自分の「現実」を隠し、足を踏み入れる場を近くに持っていた子供であれば尚更だ。<br />
かくいう私も、私の中に生きる「思春期の自分」にある名前が付いている。<br />
それは、私が夢想する私の名前で、それは響きも字面も意味も、その夢想のために考え抜いたものである。<br />
だから、響きや字面や意味に、夢を込め膨らませて考える行為の「楽しさ」を十分に知っている。<br />
でもそれは、自分が自分のために、夢や希望を込めて与えたものだから大切な名前なのだ。<br />
その名前は、「与えられた現実」から解き放たれ、抵抗し、夢を思い描くためのものである。<br />
「私のための夢のもの」であって、「現実」がなくなるわけではない。<br />
私が自我を持つ前の現実、逃れられない現実、与えられた現実、目を背けたい現実、素朴な幸せのある現実。<br />
その現実と、自分の思い描く夢と、その間に境界線を描くための「名前」だった。<br />
芸能人でも芸人でも、作家でも、プロレスラーでも、そうなのではないか。<br />
人は、夢を見る。<br />
だけど、現実がある。<br />
現実は、生臭くて、残酷で、汚くて、暖くて、冷たい。<br />
子供は、望もうとも望むまいとも、現実を生きてゆかなければならない。<br />
子供は、親の見る「夢」ではない。<br />
おしっこをし、うんちをし、食べ物をこぼし、泣く、めんどくさい「現実」そのものなのだ。<br />
線の細い、美しい名前を与えられても、筋骨隆々、油っぽい男に育つ、その現実。<br />
現実は時に、親の夢とは異なり、名前から強くイメージされる雰囲気と無関係に、子供は育つだろう。<br />
そのとき、名前のイメージと、子供の現実のイメージのギャップは、子供ではなくまず周りが反応するだろう。<br />
笑いものにするだろう。それが現実だ。<br />
現実を、受け入れ、愛する。<br />
それができることは、素晴らしいことだと思う。<br />
でももし、夢を見る乙女の気持ちで、強いイメージのある名前を子供につけようとしているのなら。<br />
あなたは親ではなく、思春期の子供なのではないか？<br />
私は比較的普通の名前を付けられたことに感謝している・・・<br />
もっと地味な名前でもよかったが。<br />
それは私が、「現実」を生きるのに適しているからである。<br />
私の「夢」を夢から引きずり出し、力を与え、私の思い通りに動かす時期は、私が決めたい。<br />
もしかしたら、一生表には出さないのかもしれない。<br />
それまで私は私の「現実の名前」で・・・この現実という世界の地べたを生きていく。<br />
現実という世界の地べたに居たまま、浮かれた名前など背負わなくて本当に良かったと思う。<br />
</p>
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		<title>終戦と情報と2chに花束を</title>
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		<pubDate>Mon, 15 Aug 2005 15:57:40 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[二限目　-社会-]]></category>

		<category><![CDATA[2ch]]></category>

		<category><![CDATA[情報]]></category>

		<category><![CDATA[情報化社会]]></category>

		<category><![CDATA[戦争]]></category>

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		<description><![CDATA[
情報の飢餓。

飢えたことのない私は、情報の飢餓は食料の飢餓と同列に恐ろしいものだと思っている。

「情報の氾濫」
と言うけれど、氾濫の何が悪いのか。

例えばどうだろう。
日本のテレビ番組を、北朝鮮で自由に流せばいい。
くだらない脱力した番組、ポップスと少しのロック、甘い誘惑を送るCM、攻撃性を忘れてしまった笑顔、様々な格好をした人々。

「なんだ、日本いいんじゃないの？」

かつて敗戦した日本に、流れ入ってきたジャズ、ファッション、西洋文化にすっかり傾倒してしまったように。

例えば私。
7年前のあの時、インターネットが無かったらまったく異なる人生を歩んでいたかもしれない。
それだけ重要で必要で知られていないあるモノの情報を、インターネットから探し出したから、私はここに居る。

例えば、日本国民総2ちゃんねらー化現象。
2ｃｈには、一つの統一した思想が生まれない。
誰かを誰かが叩く。叩いた誰かに同意する人がいくらいても、必ずそれを誰かが叩く。
俗なれ貴なれ、考えが、考えを否定しようとする。

その源は、日本教育の逆洗脳にあると思う。
「天皇キライ。」「日本ってくだらない国」
「アメリカにいきたーい」「宗教？ヤダー」
「何かを強く信じるなんて、かっこわるーい」
左翼教育にも近いが、左翼思想に傾倒しているわけではない。

彼らは、ただ、「信じること」を教えられなかった人種なのである。
小学校、中学校と、敗戦や、天皇制について習う。
天皇万歳とか言って、結局敗戦したんだ。
その挙句、鬼畜とか言っていた米英の文化を、今や愛してやまない。

そんな歴史。
そんな歴史を私たちは習ったから。

「何かを信じたり敬ったり、国を愛したりするのって、いいことを生まなかったんだな」

そう感じ取ったのである。

だから、ヤル気の無い若者は、世界で一番何も信じない、貴重なほどにニュートラルな人種だと思う。

2chは、その人たちが主立って集まるところだと思う。
そして、全員が「名無し」
名前を名乗らず、相手から自分への視線を捨て、あらかじめ仲間意識を捨て去る。
だから、「殺伐と」考え方の反作用運動を繰り返す。

素晴らしいと思う。
ある考え方があれば、その後ろを読み、更に他の人がナナメ後ろを読む。
一つの考え方に対し、四方八方360°の方向から見方が生まれるのである。

イラクでの高遠さんら拉致の時も。
2ｃｈのようなものが無ければ、だれも、「あれは演技だ」と気づかなかったのではないか。
皆、名前と立場がある人間で、軽蔑されたり嫌われたくしたくないのだ。
「かわいそうな人たちだ」もしくは「無関心」と思っているフリを続けていたかもしれない。

2ｃｈで誰かが「あの映像って演技っぽい」と気づく。
そして、「あの人たちって、あまりかわいそうじゃないんじゃない」と言い出す。
かわいそうかどうかは別として、「ナイフ当てなどが、犯人（？）グループと打ち合わせた演技だった」
ということは、当たっていたのである。

情報。
私が崇拝しているのは、「情報」かもしれない。
私は、「知らなければ良かった」なんて思ったことは只の一度たりともない。
だから、「子供に与える情報を制限しろ」というのは、人間の可能性の芽を摘むことだと思う。

私は真実が欲しい。
真実は、真実を囲む情報が揃ってこそ真実なのだ。
だから、一杯の情報欲しい。
でも、私の頭の中に情報が完全に揃うことはないから真実は、永遠に掴めないのかも知れない。

今年は、戦争を振り返った特集がとても多い。
戦争経験者は、口を揃えて言う。

「日本が負けそうなら、政府は隠さず教えて欲しかった」
「米兵に捕まったら酷い目に遭わされるなんて嘘を、吐かないで欲しかった」

情報の飢餓がどれだけ人を殺したか。
豊かになりたければ、その逆をすればいい。情報を、とことん求めよ。

頭の良さ？
勉強ができるかどうかではない。
勉強ができる能力など、ただの道具だ。道具を使いこなす頭がなければ、頭が良いなんて言えない。
知的好奇心こそが、頭の良さであり、真実こそが、信じるべき神である。

情報が星のように降り注ぐインターネットを、私は愛してやまない。
2005/8/16 終戦60年
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>
情報の飢餓。<br />
<br />
飢えたことのない私は、情報の飢餓は食料の飢餓と同列に恐ろしいものだと思っている。<br />
<br />
「情報の氾濫」<br />
と言うけれど、氾濫の何が悪いのか。<br />
<span id="more-36"></span><br />
例えばどうだろう。<br />
日本のテレビ番組を、北朝鮮で自由に流せばいい。<br />
くだらない脱力した番組、ポップスと少しのロック、甘い誘惑を送るCM、攻撃性を忘れてしまった笑顔、様々な格好をした人々。<br />
<br />
「なんだ、日本いいんじゃないの？」<br />
<br />
かつて敗戦した日本に、流れ入ってきたジャズ、ファッション、西洋文化にすっかり傾倒してしまったように。<br />
<br />
例えば私。<br />
7年前のあの時、インターネットが無かったらまったく異なる人生を歩んでいたかもしれない。<br />
それだけ重要で必要で知られていないあるモノの情報を、インターネットから探し出したから、私はここに居る。<br />
<br />
例えば、日本国民総2ちゃんねらー化現象。<br />
2ｃｈには、一つの統一した思想が生まれない。<br />
誰かを誰かが叩く。叩いた誰かに同意する人がいくらいても、必ずそれを誰かが叩く。<br />
俗なれ貴なれ、考えが、考えを否定しようとする。<br />
<br />
その源は、日本教育の逆洗脳にあると思う。<br />
「天皇キライ。」「日本ってくだらない国」<br />
「アメリカにいきたーい」「宗教？ヤダー」<br />
「何かを強く信じるなんて、かっこわるーい」<br />
左翼教育にも近いが、左翼思想に傾倒しているわけではない。<br />
<br />
彼らは、ただ、「信じること」を教えられなかった人種なのである。<br />
小学校、中学校と、敗戦や、天皇制について習う。<br />
天皇万歳とか言って、結局敗戦したんだ。<br />
その挙句、鬼畜とか言っていた米英の文化を、今や愛してやまない。<br />
<br />
そんな歴史。<br />
そんな歴史を私たちは習ったから。<br />
<br />
「何かを信じたり敬ったり、国を愛したりするのって、いいことを生まなかったんだな」<br />
<br />
そう感じ取ったのである。<br />
<br />
だから、ヤル気の無い若者は、世界で一番何も信じない、貴重なほどにニュートラルな人種だと思う。<br />
<br />
2chは、その人たちが主立って集まるところだと思う。<br />
そして、全員が「名無し」<br />
名前を名乗らず、相手から自分への視線を捨て、あらかじめ仲間意識を捨て去る。<br />
だから、「殺伐と」考え方の反作用運動を繰り返す。<br />
<br />
素晴らしいと思う。<br />
ある考え方があれば、その後ろを読み、更に他の人がナナメ後ろを読む。<br />
一つの考え方に対し、四方八方360°の方向から見方が生まれるのである。<br />
<br />
イラクでの高遠さんら拉致の時も。<br />
2ｃｈのようなものが無ければ、だれも、「あれは演技だ」と気づかなかったのではないか。<br />
皆、名前と立場がある人間で、軽蔑されたり嫌われたくしたくないのだ。<br />
「かわいそうな人たちだ」もしくは「無関心」と思っているフリを続けていたかもしれない。<br />
<br />
2ｃｈで誰かが「あの映像って演技っぽい」と気づく。<br />
そして、「あの人たちって、あまりかわいそうじゃないんじゃない」と言い出す。<br />
かわいそうかどうかは別として、「ナイフ当てなどが、犯人（？）グループと打ち合わせた演技だった」<br />
ということは、当たっていたのである。<br />
<br />
情報。<br />
私が崇拝しているのは、「情報」かもしれない。<br />
私は、「知らなければ良かった」なんて思ったことは只の一度たりともない。<br />
だから、「子供に与える情報を制限しろ」というのは、人間の可能性の芽を摘むことだと思う。<br />
<br />
私は真実が欲しい。<br />
真実は、真実を囲む情報が揃ってこそ真実なのだ。<br />
だから、一杯の情報欲しい。<br />
でも、私の頭の中に情報が完全に揃うことはないから真実は、永遠に掴めないのかも知れない。<br />
<br />
今年は、戦争を振り返った特集がとても多い。<br />
戦争経験者は、口を揃えて言う。<br />
<br />
「日本が負けそうなら、政府は隠さず教えて欲しかった」<br />
「米兵に捕まったら酷い目に遭わされるなんて嘘を、吐かないで欲しかった」<br />
<br />
情報の飢餓がどれだけ人を殺したか。<br />
豊かになりたければ、その逆をすればいい。情報を、とことん求めよ。<br />
<br />
頭の良さ？<br />
勉強ができるかどうかではない。<br />
勉強ができる能力など、ただの道具だ。道具を使いこなす頭がなければ、頭が良いなんて言えない。<br />
知的好奇心こそが、頭の良さであり、真実こそが、信じるべき神である。<br />
<br />
情報が星のように降り注ぐインターネットを、私は愛してやまない。<br />
2005/8/16 終戦60年</p>
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